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滅亡の危機に瀕した井伊家を救った井伊直虎。しかし本当に凄かったのは直虎ではなく、その大叔父の南渓和尚(なんけいおしょう)という人物だったかもしれません。

南渓和尚とはどんな人だったのでしょうか。

年表や、住職を務めた龍潭寺についても見ていきましょう!
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南渓和尚ってどんな人?わかりやすく解説!


まずは南渓和尚はどんな人だったのかを、簡単にご紹介します。

南渓和尚は井伊直虎の曽祖父、井伊直平の子供(あるいは養子)とされている人物で、直虎にとっては大叔父にあたります。また彼は井伊家の菩提寺、龍潭寺(りょうたんじ)の住職として、今川義元の葬儀を任されるなど、僧侶としても非常に優秀な人物であったと思われます。

戦国時代の井伊家を語る上で、南渓和尚の存在は非常に大きなものでした。出家して「次郎法師」と名乗っていた直虎を還俗させ、井伊家の当主としたのもこの人物です。
また直虎の婚約者、直親を1544年に信濃に逃したり、直親の子供である井伊直政が今川家、そして井伊家の筆頭家老である小野政直、政次親子に命を狙われた歳も、南渓和尚は直政を三河国へと逃しています。

1582年に直虎がなくなり、直政が井伊家を継いだ後も、南渓和尚はその後見役として1589年に亡くなるまでその任を全うしました。南渓和尚は、滅亡の危機にあった井伊家と常に共にあり、その飛躍を作った人物なのです。

南渓和尚の生涯を年表を使って解説!


ここでは南渓和尚の生涯を、年表を使ってご紹介します。


・1507年
遠江国の国人、井伊直平の子供(次男?)として産まれる。
(ただし南渓和尚は直平の実の子ではなく養子だという説もある)

・1531年
後に住職を努める龍潭寺を、井伊直平が中興する。
その際、招かれた黙宗瑞淵(もくしゅうたんえん)の弟子になったとされる。

・1544年
井伊直平の子である直満、直義兄弟が今川義元によって自害に追い込まれる。
直満の子、井伊直親も殺されそうに成るが、南渓和尚は彼を信濃に逃す。

・1555年
井伊直親が信濃から井伊谷に戻ってくる。

・1560年
井伊直親が妻と共に、龍潭寺を訪れ男子が産まれるよう祈願したとされる。
(翌年、夫妻の間に虎松=後の井伊直政が産まれる)
桶狭間の戦いで、今川義元と井伊家当主の井伊直盛が討死する。
南渓和尚は、義元の葬儀を任されたと言われる。

・1562年
井伊直親が今川氏真によって殺される。

・1564年
虎松(井伊直政)を愛知県の鳳来寺に移して匿う。

・1565年
井伊直親が今川氏真によって殺される。
井伊家の当主となった直虎の後見役となる。

・1573年
武田信玄が遠江国に侵攻し、龍潭寺が焼け落ちる。

・1574年
鳳来寺にいた虎松(井伊直政)を龍潭寺に呼び戻す。

・1575年
虎松を徳川家康の小姓として取り立てる事に成功する。

・1582年
井伊直虎がなくなる。
虎松は井伊直政と名を改め、井伊家を継承する。

・1584年
小牧長久手の戦いに従軍した直政に数多くの助言をしたとされる。

・1585年
井伊直政の母(直親の妻)がなくなり、龍潭寺でその葬儀を行う。

・1589年
南渓和尚がなくなる。

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南渓和尚の生涯は、まさに井伊家のどん底と共にあったと言えるでしょう。父の直平、兄弟の直満、直義、甥の直盛、そしてその下の世代にあたる直親や直虎がなくなった跡も、南渓和尚は井伊家を支え続けたのです。この記事を書いていて、井伊家にとっての南渓和尚は、言葉には言い表せないほど大きな存在だったんだなあ…とただただ思うばかりの筆者でした。今の気持ち、なかなか言葉に出来ないです。

南渓和尚が住職を務めた井伊家の菩提寺、龍潭寺とは?


ところで、南渓和尚が住職を務めた龍潭寺とはどのようなお寺なのでしょうか。


まずはこちらの動画をご覧くください。
お寺の周辺をドローンで撮影したものだそうです。




緑豊かな風景が広がっていて、見ていて心地よいですね。
この緑豊かな庭園は国の名勝に指定されています。


話を元に戻しましょう。

龍潭寺は現在の静岡県浜松市にある、臨済宗のお寺です。井伊家の菩提寺として知られるお寺ですが、開かれたのは735年、東大寺の大仏の建立で知られる行基によるものだと言われています。その後、井伊家の初代となる井伊共保(ともやす)が1093年になくなった時は彼を弔い、平安時代には井伊家の菩提寺へとなっていたと言われています。

「龍潭寺」という名前が付けられたのは1560年、井伊直盛が戦死して以降の話です。当初の名前は地蔵寺、そして井伊共保がなくなった際にはその法号をとって自浄寺と改められています。ちなみに龍潭の「龍潭」というのは井伊直盛の法号でもあります。

大河ドラマの放送と共に、龍潭寺を訪れる人は増えそうですね。龍潭寺では写経や庭園の夜間公開、花祭りやお茶会といった催事が適宜催されているので、適切な日時に一度訪れてみるのもいいかもしれませんんね。

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この記事のまとめ


南渓和尚がどんな人だったのかを、年表や住職を務めた龍潭寺と共にご紹介しました。

恐らく、80年は生きたと思われる南渓和尚。彼が居なければ「井伊の赤備え」も、後の江戸幕府の大老井伊家もなかった事でしょう。今まではさほど注目されてこなかった人物ですが、大河ドラマ「おんな城主直虎」の放送によってその知名度は間違いなく上がる筈です。

ドラマで南渓和尚を演じるのは俳優の小林薫さん。おそらくドラマの序盤から終盤まで全部出て来る筈なので、小林さんの演技と共に、その活躍ぶりにも期待したいですね。

なお、以下の記事では南渓和尚を含めた井伊直虎や井伊家の家系図について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:井伊直虎の家系図を解説。井伊家のその後も気になる!