日本で貴族と言うと「公家」を思い浮かべることが多いと思いますが、明治時代には「華族」という西欧諸国のような貴族階級が導入されたことがありました。

この華族、最初は等級の別はありませんでしたが、該当者が増え続けた事で格付けの導入が必要となりました。そこで1884年、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵といった五爵という区別が導入されます。一体どのような人物が選ばれたか、気になりますね。

今回は、こうした五爵の違いを簡単にまとめてみました。
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五爵の最高位・公爵について解説。


まずは五爵の最高位にあたる、公爵について簡単にご紹介します。

日本の公爵は1889年の貴族院令によって、満30歳になると自動的に終身貴族院議員になれる事が規定されていました。
また、公爵となった者はその家格を保持するために家門永続資金が支給されていました。


公爵に叙せられた家系は、主に以下の4つから成ります。

①皇族(ただし実際には臣籍降下で公爵になった皇族はいません)
②公家(近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家のいわゆる「五摂家」)
③武家(徳川宗家のみ)
④勲功者(以下の3パターンに大別されます)
・華族の中で特に功績があった者:三条家、岩倉家、島津家、毛利家。後に西園寺家、徳大寺家、水戸徳川家も加わる。
・上記の家柄の中で、別家を起こす事が認められた者:徳川慶喜、島津久光
・元老:伊藤博文、山縣有朋、大山巌、桂太郎、松方正義

このうち、④の家系はもともと公爵ではありませんでしたが、功績により陞爵(しょうしゃく:爵位が上がること)した経緯があります。中でも徳川慶喜と島津久光の家はもとはランクが最も下の男爵でしたが、別家を立てた後に公爵となった経緯があります。

「公爵」の訳ですが、英語ではprinceとdukeの2つがあります。
公式な訳としてはprinceが用いられましたが、これによって伊藤博文や近衛文麿など、本来は皇族ではない者が天皇家に連なる人物だと思われる事態が発生したケースもありました。

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侯爵とは?「維新の三傑」の家系も該当する!?


続いて、五爵の2番目に当たる侯爵について見ていきましょう。

侯爵は公爵と同様、満30歳になると自動的に終身貴族院議員になる事が出来ました。
ただし、公爵とは異なり侯爵には家門永続資金や貴族院議員歳費は支給されず、金銭面ではむしろ苦しい家もあったそうです。


侯爵に任命された家系は、以下の5つのパターンから成ります。
大久保利通や木戸孝允、そして西郷隆盛の家系も該当していますね。

②には西園寺家と徳大寺家も含まれていましたが、後に陞爵し公爵になっています。

①皇族(臣籍降下した者が侯爵になりました)
②公家(中山家、嵯峨家、四条家など)
③武家(鍋島家、前田家、尾張徳川家など)
④旧琉球藩王家(尚家)
⑤勲功者(大久保家、木戸家、西郷家、井上家、東郷家など)
⑥朝鮮貴族(李載完、李完用など)

日本の「侯爵」は、ヨーロッパの「辺境伯」を由来とするmarquessまたはmarquis、あるいはドイツにおける「フュルスト」と訳される事があります。

※参照:維新の三傑の選定理由や坂本龍馬が漏れた原因は?維新の十傑も解説!

伯爵とは?貴族院議員になるには条件が必要!?


五爵の3番目にあたるのは伯爵です。
一体どのような爵位だったのでしょうか?

伯爵は上の2つの爵位と同様、満25歳(後30歳)になると貴族院議員になる事が出来ましたが、公爵や侯爵とは違い同爵の者との選挙を勝ち抜く必要がありました。

伯爵に任命された家系は、以下の6パターンから成ります。

①皇族(伏見宮家、久邇宮家など)
②公家(飛鳥井家、正親町家、三条西家など)
③武家(徳川御三卿、井伊家、上杉家など)
④僧侶(東本願寺大谷家、西本願寺大谷家)
⑤新華族(黒田清隆、山田顕義、後藤象二郎など)
⑥朝鮮貴族(李址鎔、宋秉畯など)

ヨーロッパにおける日本の「伯爵」は、国によって呼び方が変わるのが特徴です。イギリスではEarl、フランス語などロマンス語圏の国ではCount、そしてドイツなどゲルマン語圏の国ではGrafという呼び方が用いられています。

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子爵とは?皇族が居ないのがポイント!


続いて、五爵の4番目にあたる子爵について見ていきましょう。

子爵も伯爵と同様、満25歳(後30歳)になると同爵の者との選挙を経て貴族院議員になる事が出来ました。
ヨーロッパでは「Viscount:ヴァイカウント」と訳されています。


子爵になる事が出来た家系は、大きく以下の4つに分かれています。
上の3つとは異なり、皇族がいないのが大きな特徴と言えるでしょう。

①公家(明治維新前に家を興している旧堂上家)
②武家(明治維新後に5万石未満だった旧大名家がメイン。会津松平家、松代藩真田家、狭山藩北条家など)
③新華族(榎本武揚、井上毅、上原勇作など)
④分家華族(近衛文麿家など)
⑤朝鮮貴族(宋秉畯など)

男爵とは?南朝の武将の子孫も選ばれてる!?


最後に、五爵の中で最もランクの低い男爵についてご紹介します。

男爵も伯爵や子爵と同様、満25歳(後30歳)になると同爵の者との選挙を経て貴族院議員になることができました。ただ男爵は上記の4爵とは異なり、貴族というより裕福な紳士という印象が強かったようです。


男爵に選ばれた家系は、主に以下の6パターンに分かれています。

①公家(昇殿が許されなかった地下家など)
②武家(明治以後に大名家から分家した家系や旧大名家の家老の家柄。小早川家など。)
③新華族(三井家や岩崎家、住友家などの実業家も選ばれました)
④神職・僧職(阿蘇神社の阿蘇家、浄土真宗木辺派の木辺家など)
⑤旧南朝の功臣の子孫(新田義貞の子孫、新田俊純など)
⑥朝鮮貴族(45名が叙せられたが、爵位を返上した者も多かった)

②について、島津久光と徳川慶喜については元は分家でしたが、上でお話した通り功績により公爵に叙せられています。

⑤の南朝の武将の子孫が選ばれているのが興味深いと感じます。新田家以外にも、菊池家や名和家といった家柄の人物が男爵に選ばれています。一方、この時代で著名な武将であった楠木正成の家系は、嫡流にあたる人物が不明瞭であったため選出されませんでした。

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この記事のまとめ


以上、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵といった「五爵」の違いを簡単にご紹介しました。

こうした爵位は家督を継ぐ男子のみに受け継がれ、相続したのが女子の場合は華族としては認められても、爵位を受け継ぐことはできませんでした。また、五爵に任命された人物は今で言う芸能人のような扱いもされており、雑誌にグラビア写真が掲載されたり、ゴシップが報道されたりもしたようです。

また、中級以下の華族の中には、こうした爵位に相当する体面を維持するために出費がかさみ、家族の身分を返上する家が後を絶ちませんでした。華やかな響きのある五爵を含む華族制度は、昭和22年日本国憲法の施行により廃止されています。