今なおその判決が議論されている東京裁判
しかし、この裁判についてご存知ではない方も少なくないと思います。

先の戦争を考える上で、東京裁判について知る事は日本人にとって非常に重要な事です。

今回は東京裁判を年表を使ってわかりやすく解説すると共に、争点となった「3つの罪」についてもあわせてご紹介します。
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東京裁判をわかりやすく解説。何が問題なのか?


まずは東京裁判がどのようなものだったのか、わかりやすく解説します。

東京裁判とは、第二次世界大戦で敗北した日本に対して連合国が行った裁判の事です。
極東国際軍事裁判」とも言われるこの裁判は1946年5月から48年11月にかけて行われ、「戦争犯罪人」とされた当時の軍人、政治家といった方々が裁かれました。


この裁判によって東条英機、広田弘毅元首相ら7人のA級戦犯が死刑になると共に、BC級戦犯として5千人以上が世界中の裁判所で被告人として扱われ、このうち1000人以上の方が死刑判決を受けています。

この東京裁判ですが、数多くの問題点が指摘されているのが特徴です。
裁判官全員が戦勝国の人々で構成された事や、米軍が行った原爆投下などの民間人への虐殺行為は全く罪に問われていない事、A級戦犯処刑の日付、起訴状における「平和に対する罪」が第二次世界大戦当時は存在しなかった事などの論点が指摘されています。

とりわけ最後の「平和に対する罪」については、戦勝国のパール判事からも指摘が入っており、最初から日本に罪をかぶせるための裁判だったという説も根強く残されています。

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東京裁判の年表をわかりやすく解説。


ここでは、東京裁判の年表を出来るだけわかりやすい形でご紹介します。

1945年

・8月15日
英仏米ソの4カ国が、国際軍事裁判所条例に調印する。
平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪の3つの罪が規定された。

・8月15日
玉音放送によって終戦の勅書が放送され、戦争が終わる。

・9月11日
GHQが39名の戦争犯罪人の逮捕を実行する。

1946年

・1月19日
マッカーサーが国際軍事裁判所条例をもとに、極東国際軍事裁判所条例を制定する。

・2月15日
マッカーサーが東京裁判における9名の判事を選出する。
裁判長は豪州のウェップが努める事となった。

・4月29日
A級戦犯28名が起訴される。

・5月3日
東京裁判がはじまる。

1947年

・5月3日
日本国憲法が施行される。

1948年

1月8日
マッカーサーが昭和天皇を不起訴にする事を決める。

・3月2日
この日から4月15日まで最終弁論が行われる。

・11月4日
この日から判決が言い渡される。

・11月11日
A級戦犯の25人の被告に有事判決が下る。

・12月23日
東条英機、広田弘毅元首相ら7人の絞首刑が実行される。

・12月24日
岸信介元首相ら、起訴されなかったA級戦犯19名が釈放される。

・12月9日
極東国際軍事裁判所が閉鎖する。

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2021年6月には、東条元首相ら処刑されたA級戦犯7名の遺骨が、米軍によって太平洋に散骨された事を記したアメリカの公文書が発見され話題になりました。
東条元首相ら7名の遺骨の詳細に関してはこれまで明確な記録がなく、今回の報道で東京裁判が改めて注目される形となっています。

東京裁判の「日付」に関する問題点について


作家で元東京都知事の猪瀬直樹さんは、東京裁判に関するいくつかの「日付」に注目されています。

まず東条元首相らが処刑された12月23日ですが、実は皇太子(現 上皇さま)の誕生日でもあります。
そして東条元首相らA級戦犯が起訴された4月29日は現在「昭和の日」として馴染みがありますが、もともとは昭和天皇の誕生日でした。

そして、東京裁判がはじまった46年5月3日の1年後の同日に、日本国憲法が施行されています。

こうした偶然の一致について、マッカーサーらアメリカ側は公式な見解を発表している訳ではありません。しかし猪瀬さんは皇太子(上皇さま)が12月23日にこの出来事を思い出すよう、マッカーサーがあえてこの日付を選んだのではないかと述べられています。

日本人として、こうした事実があるという事は心に刻んでおくべきではあると感じます。

東京裁判における「3つの罪」をわかりやすく解説


最後に、東京裁判における「3つの罪」についてご紹介します。

平和に対する罪(A級犯罪)

平和に対する罪とは、国際法を守らない形で戦争を引き起こす行為を指します。第二次世界大戦後、戦争犯罪を行った者の罪を追求する項目として規定されており、この罪に問われれた犯罪者は「A級戦犯」と呼ばれています。

東京裁判では、平和に対する罪で23名の方が有罪となる一方で、東京裁判やドイツのニュルンベルク裁判のために制定した「事後法」なのではないかという批判も根強く存在します。

(通例の)戦争犯罪(B級犯罪)

(通例の)戦争犯罪とは、戦時国際法という戦争において軍事組織が守らなければいけない国際法を遵守しなかった事に対する犯罪です。
東京裁判においては、この戦争犯罪という概念から上の平和に対する罪や下の人道に対する罪といった罪状が追加されました。

この罪を犯した物をB級戦犯と呼び、以下のC級戦犯とあわせて「BC級戦犯」と一般的に呼んでいます。

人道に対する罪(C級犯罪)

人道に対する罪とは、一般市民に対して殺害や絶滅、拷問などの危害を加えた者に対する犯罪を指します。上の(通例の)戦争犯罪に問われた者が士官以上の者が多かったのに対し、この人道に対する罪に問われたのは士官以下の者が多い傾向にありました。

人道に対する罪は主にナチス・ドイツのホロコーストにおいて適応されましたが、日本は特定の民族を絶滅させる意図が無かったため、この人道に対する罪が適応される事はありませんでした。

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この記事のまとめ


このページでは東京裁判を年表を使いながらご紹介すると共に、焦点となった「3つの罪」についてもご紹介しました。

数多くの問題点が指摘される東京裁判ですが、日本政府は1952年にこの判決を受け入れる事を表明しています。個人的にもこの裁判は色々と問題があると思うのですが、具体例にどの点が問題だったのかを知っている日本人はそこまで多くはない気がします。

過去にこうした出来事があったという事を、1人の日本人としてまずは知って欲しいとこの記事を書いていて思いました。