%e8%b2%bc%e3%82%8a%e4%bb%98%e3%81%91%e3%81%9f%e7%94%bb%e5%83%8f_2016_12_13_12_19 上杉謙信の一族ってどんな人がいたのかご存知ですか?

父親は長尾為景、その後に関東管領だった上杉憲政の養子になり、実子はおらず他家から養子を貰って家名を残した謙信の家系図は、とにかくややこしい!の一言に付きますよね。

今回は、上杉謙信の家系図を出来るだけ簡単にわかりやすくまとめてご紹介します。

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上杉氏の家系図はどのようなものだったのか?


上杉謙信は、もともと長尾景虎と言いました。彼が上杉性を名乗るのようになったのは、当時、関東管領を努めていた上杉憲政の養子となる事で、その職務を譲られたからです。

では、なぜ上杉氏は関東管領という職務を努めるようになったのでしょうか。

こちらの図をご覧下さい。

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関東管領とは、室町幕府の将軍である足利家が関東に置いた「鎌倉府」の当主である足利一族を助ける役職の事です。この一族を助ける要職になぜ上杉氏が任命されたのかと言うと、室町幕府をたてた足利尊氏の母親が上杉氏の人だからなんですよね。尊氏の母親は、「上杉氏の祖」と言われる上杉重房の孫にあたります。

※参照:室町幕府が京都に置かれた理由とは?仕組みや税制度も解説!


「上杉氏の祖」である重房の孫はいくつかの家系に分かれたのですが、その中で一番偉かったのが関東管領を代々務めた「山内上杉氏」という家柄でした。また、謙信の父親である長尾為景は、越後の守護を努めていた上杉房能を殺害して下克上を果たした人物です。

また、戦国時代初期の上杉氏は、関東管領を努めていた山内上杉氏と、武蔵国(今の東京都、神奈川県)を勢力下に置いていた「扇谷上杉氏(おうぎがやつ)」が対立していました。この両家の争いに割り込んだのが北条早雲を祖とする後北条氏で、最終的にこの2つの上杉氏は手を組んで北条氏と戦うも敗北。扇谷上杉氏は滅亡し、山内上杉氏の当主である憲政は越後にいる長尾景虎=謙信を頼ってきたのです。

上杉謙信の生家、長尾氏の家系図についてご紹介


では、謙信生家である長尾氏とは、一体どのような家柄だったのでしょうか。
その家系図についても見ていきましょう。

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長尾氏はもともと、上杉氏の家臣の中で最も力のある存在でした。上杉氏が関東管領になると、長尾氏も各地の守護代となってその勢力を強めていきますが、この中で越後守護代になったのが長尾景恒という人物です。この景恒には三人の子供がいて、それぞれが上田長尾家、古志長尾家、そして府内長尾家へと続いていくのです。

上杉謙信の父親である長尾為景は、もともと府中長尾家の当主でした。その後、主君である上杉房能を倒して下克上を果たしますが、この過程で一族の上田長尾家と対立します。最終的には為景は娘の仙桃院を上田長尾家の当主、長尾政景に嫁がせて和睦し、この2人の間には謙信の養子となった上杉景勝が産まれました。

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その後の3つの長尾氏ですが、謙信が上杉憲政の養子になって姓を改めた時、府内長尾家の後継者を定めなかったのでこの家系は断絶します。また謙信の死後、その後継者争いである御館の乱が勃発しますが、これは景勝を擁する上田長尾家と、北条氏康の子供で謙信の養子となった上杉景虎を擁する古志長尾家の争いの側面もありました。結果として景勝が勝利すると共に、古志長尾家の当主である上杉景信が戦死した事で、この家系も断絶しています。

上杉謙信の家系図を武田信玄、北条氏康の視点からご紹介


最後に、武田信玄や北条氏康の存在も絡ませた上杉謙信の家系図をご紹介します。

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謙信の跡を継いだ上杉景勝ですが、その妻は武田信玄の娘である菊姫でした。御館の乱が勃発した時、景勝は武田家の当主であった勝頼への助けを借りる事に成功します。その過程で景勝は菊姫を正室に迎えました。この2人の間には子供は産まれず、上杉氏は側室との間に産まれた定勝が相続しています。

しかし武田勝頼にとって景勝に肩入れするという事は、当時友好関係にあった北条氏との関係を悪化させる事でもありました。御館の乱で景勝と争ったのは謙信の養子にして、北条氏の当主である氏政の弟だった上杉景虎だったからです。

この戦いの後、武田氏と北条氏の関係は悪化します。もっとも武田氏と北条氏の関係悪化は信玄が駿河に侵攻した頃も見られており、これによって氏政に嫁いでいた信玄の長女、黄梅院が離縁されるといった事態も発生しています。

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この記事のまとめ


今回は、上杉謙信の家系図を簡単にわかりやすくご紹介しました。

上杉氏も長尾氏も、実はこれ以外にも様々な分家が存在しますが、今回は上杉謙信とその同世代の武将に関わるものだけをピックアップして解説しました。また、上杉謙信の家系図を見ると武田信玄や北条氏康との繋がりが見られるのも興味深いですね。その後の上杉氏は他家から養子を迎えながらも幕末を通して存続し、明治時代になると伯爵を授けられています。

なお、以下の記事では謙信のライバルである武田信玄の家系図について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:武田信玄の家系図を簡単にわかりやすく解説!