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武田信玄という人物を調べてみると、一族や子供たちに色々な人の名前が挙げられますよね。
色々な人物の名前を見て、混乱してしまった経験がある方もいるのではないでしょうか。

そこで今回は、武田信玄の家系図を3つに分けて簡単にわかりやすく解説します。

今川義元や北条氏康、上杉謙信や織田信長も登場しますよ!

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武田信玄の家系図を曽祖父、武田信昌の代から見てみよう!


まずは武田信玄の家系図を、曽祖父の武田信昌に遡って見ていきましょう。

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信玄の曽祖父である武田信昌は、混乱していた甲斐国の統一を進めた事で知られる人物です。
その影響力は大きかったようで、武田家の家臣の名前に「昌」という字が付いている人物が多いのはこの信昌が由来なのです。しかし、晩年の信昌は次男の油川信恵に家督を継がせたいと考え、これにより嫡男の信縄との争いが勃発。甲斐国は再び混乱状態に陥ります。

この状態を鎮めたのが、信玄の父親である武田信虎でした。信虎は油川信恵の勢力を駆逐して甲斐国を統一し、また娘の定恵院を今川義元に嫁がせて今川家との親交を深める事に成功します。しかし、信虎と家臣たちの関係は次第に悪化し、1541年、嫡男の晴信(信玄)によって信虎は駿河国へ追放されてしまいました。

また、この信虎には信玄の副将として川中島の戦いで戦死した信繁、信玄の影武者として活躍した信廉など、多くの子女がいました。その1人である禰々御料人は信濃の諏訪頼重に嫁いだものの、信玄によって諏訪氏が滅ぼされたため甲斐へ戻されています。
また、信玄はこの時、諏訪頼重の娘である諏訪御料人を側室として迎えており、二人の間には後の武田家の当主となる勝頼が産まれました。

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正室・三条の方とその子供たちを中心とした武田信玄の家系図


続いて、信玄と正室である三条の方を中心とした家系図をご紹介します。

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信玄は三条の方との間に3男2女、合計5人の子供を授かっています。このうち長男の武田義信は今川義元の娘、嶺松院と結婚。また長女の黄梅院は北条氏康の嫡男、氏政と結婚しています。そして北条氏康の娘、早川殿が義元の嫡男、氏真に嫁いでいますが、これは1554年に結ばれた甲相駿三国同盟によるものでした。しかし信玄の駿河侵攻によって三国同盟は破綻。この少し前に義信は幽閉され死去しており、黄梅院も三国同盟破綻後に離縁され実家に送り返されています。

次男の海野信親ですが、生まれた時から盲目だったため、武田家の家督を継ぐ事はありませんでした。僧籍に入って「竜芳」と名乗った信親ですが、1582年に武田家が滅亡した際に自害した、もしくは殺害されたと言われています。しかしその子どもたちは生き延び、江戸時代には高家旗本として武田家を存続させ今に至っています。

また、次女の見性院は武田家の一門衆であり、後の武田勝頼を裏切った事で知られる穴山信君(梅雪)の元へ嫁いでいます。そして三男の信之は早世しているため、結果として諏訪御料人との間に産まれた四男の勝頼が武田家を継ぐ事となったのです。

※参照:武田信玄の娘について。黄梅院、見性院、真竜院、菊姫、松姫の生涯とは?

武田信玄と油川夫人、禰津御料人とその子供たちの家系図について


また、信玄には諏訪御料人や三条の方以外にも二人の側室がいました。
上で解説しなかった信玄の子供たちの家系図についても見ていきましょう。

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信玄は側室である油川夫人との間に、2男3女の子供を授かっています。このうち3女の真竜院は木曽義昌に嫁ぎますが、1582年に夫が武田家を裏切ったため離縁し、残りの生涯を木曽谷で過ごしました。また、5男の仁科盛信と6男の葛山信貞も、信長の甲州征伐の際に亡くなっています。

また、信玄の四女である菊姫は、かつてのライバルである上杉謙信の養子、景勝の元へ嫁いでいます。これは上杉家のお家争いに勝頼が介入した事によって実現した婚姻でした。これによって武田家に対する上杉家の印章は向上し、信玄が禰津御料人との間に産んだ7男・安田信清が甲州征伐によって越後へ亡命した時、景勝は彼を受け入れています。この安田信清の家系は「米沢武田家」として、次男の海野信親の家系とは別に江戸時代を通して存続し、今も子孫の方がいらっしゃるとのこと。

また信玄の5女の松姫ですが、1567年に織田信長の嫡男である信忠との婚約が成立していました。しかし1572年、信玄が上洛を開始したためこの縁談は破断。松姫はその後誰とも結婚する事なく、八王子の地で一族、そして本能寺の変で亡くなった信忠を弔ったと言われています。

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この記事のまとめ


今回は、武田信玄の家系図を簡単にわかりやすくご紹介しました。

信玄の子孫は次男、海野信親の家系と七男、安田信清の家系が現在も存続しており、このうち海野信親の家系が武田家の直系の子孫として認められています。

なお、以下の記事では信玄のライバルである上杉謙信の家系図について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:上杉謙信の家系図を簡単にわかりやすく解説!