伊達政宗と言えば戦国時代末期に活躍した「独眼竜」と呼ばれる武将の事を思い浮かべますが、実は室町時代には同じ「政宗」と名乗った人物がいたのです。また、戦国時代の伊達家は奥州各地の勢力に政略結婚を行っており、色々な武将が登場して面白いですよ。
そこで今回は、伊達政宗の家系図を簡単にわかりやすく解説してみました。
伊達政宗の家系図を伊達家の祖先の代から解説!
まずは伊達政宗の家系図を、伊達家発祥の時代に遡って見ていきましょう。
伊達家の初代は伊達朝宗(ともむね)という人物です。朝宗は源氏との縁が深く、自分の娘を源頼朝の側室として嫁がせたり、また母親は頼朝の祖父である源為朝の娘であるという説もある他、名前の「朝」の字も頼朝から拝領したものという説がありますが、本当にそうなのかは謎が残されています。
朝宗は頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした合戦に従軍して手柄を立て、その功績によって伊達郡を貰った事から伊達氏を名乗ったと言われています。また7代目当主である伊達行朝は南朝方として戦うも、その跡を継いだ宗遠の代に北朝へ降伏。
その跡を継いだ8代目当主である伊達政宗は鎌倉府と3回戦った事で知られ、伊達家中興の祖としてその名前は戦国武将である「伊達政宗」へと受け継がれました。
また、14代目である伊達稙宗は分国法「塵芥集」を制定した事や、息子たちを大崎家、葛西家の養子に送り込んで伊達家の勢力を広めていきます。しかし、嫡男である15代目の晴宗と対立。
この親子関の対立は「天文の乱」という形で奥州全土に広まっていきます。戦いは晴宗の勝利に終わったものの、この他戦いによって伊達の勢力は縮小。こうした状況の中で、戦国末期に活躍する事になる伊達政宗は誕生したのです。
伊達家と蘆名家、佐竹家の家系図を見てみよう!
この伊達家ですが、14代目の稙宗の代から、奥州の諸勢力に自分の娘を嫁がせるなどして婚姻関係を広げていきます。これについて詳しく見ていきましょう。
まず、稙宗は娘を蘆名盛氏に嫁がせています。こうした縁もあって、蘆名盛氏は天文の乱では稙宗方に付きますが、同じ稙宗方で伊達政宗の正室、愛姫の祖父にあたる田村隆顕(後述します)と対立した事で晴宗方へ所属を変更します。この蘆名盛氏の決断が、天文の乱を晴宗方の勝利へ導いたと言われています。
この伊達晴宗の跡を継いだのは政宗の父親で晴宗の次男の伊達輝宗です。なぜ次男が跡を継いだかと言うと、長男の岩城親隆は晴宗の正室、久保姫の実家である岩城家へ養子へ入ってるからです。この久保姫は美人という事で評判で、晴宗の元へ嫁ぐ条件として、その子供を養子へ入れる事が取り決められたと言われています。
また、晴宗の娘である彦姫も、稙宗のケースと同じく蘆名家へ嫁いでいます。当初は蘆名盛氏の嫡男である蘆名盛興へ嫁いだのですが、この盛興が早世してしまったため、その跡を継いだ盛隆へ再婚する事となりました。ちなみにこの蘆名盛隆という武将の母親は晴宗の娘、阿南姫です。つまり蘆名盛隆は、自分の叔母を妻に迎えた事になります。
これ以外にも、晴宗は娘を常陸国の大名、佐竹義重の元へ嫁がせています。そしてこの二人の間に産まれた子供は、後に蘆名盛興と彦姫の娘、小杉山御台と結婚して蘆名義広と名乗り、蘆名家を継承する事となります。その後1589年、蘆名義広は摺上原の戦いで伊達政宗と戦うも敗れ、ここで戦国大名である蘆名家は滅亡しています。
伊達政宗の家系図を解説。子供たちはどうなった?
話が政宗から逸れてしまいましたね…
最後に、伊達政宗を中心とした家系図についても見ていきましょう。
まず、伊達政宗は父親の輝宗と、母親で出羽国の大名、最上義守の娘である義姫との間に産まれました。政宗と母親、義姫の仲は悪く、かつては義姫が政宗を毒殺しようとしたという説も存在した程です。また、政宗には政道(小次郎)という弟がいたのですが、1590年に急死しています。その背景には政宗が小次郎を毒殺したという説もあるのですが、これに反論する考え方もあり、その詳細は今なお定かではありません。
政宗死後の伊達家は、側室の新造の方との間に産まれた長男の秀宗が宇和島藩へ、正室である愛姫との間に産まれた次男の忠宗が仙台藩の藩主となっています。その背景には、秀宗は豊臣家に仕えた経験があり、「秀」という字を拝領している事からも、徳川時代における伊達家の後継者として相応しくないと考えられていた事情がありました。
一方で政宗は愛姫との間に産まれた娘である五郎八姫を徳川家康の六男、松平忠輝へ嫁がせるなど、徳川家との関係強化を図っています。また、仙台藩を継いだ忠宗の「忠」の字は、江戸幕府2代将軍である徳川秀忠の「忠」の字を拝領したものです、
この記事のまとめ
伊達政宗の家系図を簡単に、かつ出来るだけわかりやすく解説しました。
伊達家は源頼朝の時代から続く家柄であり、その系図は現在に至るまで続いています。ちなみに幕末の伊達家は、宇和島藩の藩主である伊達宗城の活躍が目覚ましかった事から侯爵になった一方で、本家である仙台藩は奥羽列藩同盟に参加した事が問題視されその下の伯爵止まりと、家格が逆転してしまう状態が起こりました。
ちなみに現在の伊達家の当主は34代目にあたる伊達泰宗氏で、大河ドラマ「独眼竜政宗」の監修を行った事でも話題になりました。