%e8%b2%bc%e3%82%8a%e4%bb%98%e3%81%91%e3%81%9f%e7%94%bb%e5%83%8f_2016_11_09_5_48

谷崎潤一郎という小説家をご存知ですか?
近代日本文学を代表する作家の一人であり、今日のミステリーやサスペンスというジャンルの先駆者としても知られています。

そんな谷崎潤一郎とは、一体どんな人だったのでしょうか。
今回は、谷崎潤一郎の生涯を簡単な年表にまとめ、またその代表作を5つご紹介しつつ、その人物像を分かりやすく解説してみたいと思います。
スポンサードリンク

谷崎潤一郎とは、どんな人?


まずは谷崎潤一郎がどんな人だったのかを、簡単に見てみましょう。

作家・谷崎潤一郎といえば、よくスキャンダラスなイメージで語られることが多い人物です。
しかし、実を言えばその作風や、取り扱うテーマなどは多種多様を究めました。

谷崎潤一郎が作家として活躍していたのは明治末期から、昭和中期ごろです。時代にして言えば、日本が近代化に進む時代でもあり、また第一次、第二次世界大戦が起きた時代でもあります。そんな時代にあっても、谷崎潤一郎は旺盛に執筆活動を続けていた作家でした。

活躍初期の谷崎潤一郎といえば、耽美主義の作家とされていました。女性愛やマゾヒズムを感じさせる文章、またそれは、題材として男女の情痴や時代風俗などを取り扱っていたこともあったからでしょう。
しかし、そうかと思えば漢語や雅語なども取り入れた端麗な文章も書いてみせます。巧みに通俗性を取り扱いながら、文章の芸術性をも高めてみせた谷崎潤一郎は、純文学の世界でも、その名を轟かせました。そればかりか、探偵小説や映画などにも影響を受け、活劇的な歴史小説やブラックユーモアに溢れる作品も残しています。

そして、谷崎潤一郎の私生活の有名な話といえば、七十九年の生涯で、なんと四十回もの転居を繰り返したことでしょうか。

実は、自らの居住地に対し、並々ならぬこだわりがあったとされる谷崎潤一郎。作品を執筆するにしても、その作品の雰囲気に似合う居住地を探しては、移り住んでいたというのです。谷崎潤一郎は、それこそ生涯旺盛な執筆活動を続けた作家らしく、膨大な作品を残しています。だからこそ、この転居回数なのでしょう。

また、谷崎潤一郎は、異常な女性愛の持ち主であったことでも有名です。
たとえば、自分の妻の妹に恋をした谷崎潤一郎が、妻に片想いをしていた佐藤春夫との間に起こした「細君譲渡事件」というものがあります。
続いて二番目の妻と婚姻中、人妻との恋に夢中になり、すぐさま別居、結局は離婚してしまいます。更に言えば、彼は生涯で三度の結婚をしているのですが、その最後の妻であり、元人妻だった松子の姉妹には、「自分を好きにイジメて欲しい」などの手紙を送ってしまうのです。

ただ、このようなスキャンダラスな女性遍歴が、後に秀作とされる作品に生かされているのですから、そこはやはり、作家・谷崎潤一郎といえるのかもしれません。

スポンサードリンク

谷崎潤一郎の生涯年表をわかりやすく解説!


ここでは、谷崎潤一郎の年表を、出来るかぎりわかりやすく解説していきます。


・1886年(0歳)
四男三女の長男として、東京都日本橋で生まれる。
本来は次男であったが、長男が三か月で亡くなったため、谷崎潤一郎が「長男」とされた。
本名は、同一の「谷崎潤一郎」。

・1892年(6歳)
阪本尋常高等小学校に入学。
神童と持て囃されるが、お坊ちゃん育ちで内気な性格のため、乳母の付き添いがないと登校できなかった。

・1893年(7歳)
出席日数の不足により、留年。しかし、その後は首席で進級。
生涯の友となる、日本初の高級中華料理店の御曹司・笹沼源之助と出会う。

・1894年(8歳)
明治地震にて被災。生涯悩まされた地震恐怖症となる。

・1897年(11歳)
阪本尋常高等小学校を卒業。高等科へと進む。
稲葉清吉先生の影響で、文学に目覚める。

・1901年(15歳)
高等科を卒業。
家産が傾き、奉公に出されるはずだったが、谷崎潤一郎の才能を惜しんだ稲葉先生たちの援助により東京府立第一中学校(現在の日比谷高等学校)に進学。

・1902年(16歳)
父の事業がいよいよ危機的状況に陥り、廃学も危ぶまれるが、漢文教師の渡辺先生や北村重昌(上野静養軒主人)らの厚意によって、北村宅の住み込みの書生として家庭教師をしながら学業に勤しむ。

・1905年(19歳)
東京府立第一中学校(現在の日比谷高等学校)卒業。
第一高等学校英法科に進学。

・1908年(22歳)
第一高等学校英法科を卒業。
東京帝国大学(現在の東京大学)国文科に進学。

・1910年(24歳)
小山内薫や和辻哲郎らと第2次「新思潮」を創刊。
「刺青」「麒麟」を発表。

・1911年(25歳)
「少年」「秘密」「幇間」「飈風(ひょうふう)」を発表。永井荷風に激賞される。
授業料未納により、東京帝国大学(現在の東京大学)国文科を退学。

・1915年(29歳)
石川千代(19歳)と結婚。翌年には千代の妹・せい子(14歳)を引き取る。
1912年以降からこの年齢に至るまで「悪魔」や「饒太郎」、「お艶殺し」などを含む数々の作品を発表。

・1921年(35歳)
妻・千代の譲渡の約束を翻し佐藤春夫と絶交。いわゆる「小田原事件」。
横浜市に転居。

・1923年(37歳)
関東大震災。京都や兵庫へ避難のため転居。
以後は、関西各地に転居を繰り返しながらの居住。

・1924年(38歳)
神戸に転居。
「痴人の愛」を発表。

・1927年(41歳)
芥川龍之介と同行した先の茶屋で根津松子(当時は人妻であり、後の谷崎松子)と出会う。
後日、谷崎潤一郎の誕生日に芥川龍之介が自殺。

・1930年(44歳)
三者合意の元、妻の千代と離婚し、千代は佐藤春夫と結婚。
挨拶状が送られ、「細君譲渡事件」と騒ぎになる。

・1931年(45歳)
古川丁未子(24歳)と結婚。

・1933年(47歳)
「春琴抄」を発表。
妻・丁未子と協議離婚成立。

・1935年(49歳)
松田松子(元・根津松子)と結婚。

・1943年(57歳)
「細雪 上巻」を発表。

・1947年(61歳)
「細雪 中巻」「細雪 下巻」発表。

・1956年(70歳)
「鍵」を発表するが、社会的スキャンダルになる。

・1965年(79歳)
7月30日、湘碧山房にてなくなる。

スポンサードリンク


谷崎潤一郎は、終生旺盛な執筆活動を続けました。晩年は、一時視覚障害に陥ったり右手に麻痺が残ってしまったりもします。脳血管の異常や狭心症の発作に倒れることもありました。それでも、執筆活動を続けたのです。

その作品数は、膨大で、こちらの年表でご紹介した作品も一部です。
生涯を通し、数多くの作品を残した谷崎潤一郎。

そんな谷崎潤一郎の代表作には、いったいどんなものがあるのでしょうか。
次の項目で詳しく解説します。

作家・谷崎潤一郎の代表作を5つを分かりやすく解説


最後に、谷崎潤一郎の代表作を5つ、わかりやすくまとめてみました。

・谷崎潤一郎の代表作(1)『刺青』


主人公は、元・浮世絵職人の清吉という彫り師の男。この男には、人知れず抱える性分と情念があった。また、その男に狙いをつけられた女もまた、その心に秘めた情念を持っていた。この二人が出会うとき、隠された真実の己が露わになっていく。

言わずと知れた谷崎潤一郎の処女作であり、谷崎潤一郎の持つ世界観が全開という作品。
人の欲望と情念が、美しくも妖しい世界で描かれています。

・谷崎潤一郎の代表作(2)『痴人の愛』


カフェで働く女給である15歳のナオミ。そのナオミを見て、いずれは妻にしようと育てることにした真面目な男。
この男が、ナオミに翻弄され、次第に破滅へと向かっていく・・・

小悪魔的な女性に振り回され、破滅するという物語なのですが、実はこの作品に出てくる「ナオミ」は、谷崎潤一郎の妻である千代の妹・せい子がモデルだとされています。
確かに谷崎潤一郎は、せい子に夢中になったことで千代と別れて結婚をしようとします。
しかし、結局は、せい子に振られてしまうのです。

ある意味、谷崎の実体験が描かれている作品と言えるでしょう。

・谷崎潤一郎の代表作(3)『春琴抄』


幼い頃の病により、盲目となった春琴。春琴は盲目でありながらも、とても美しい容貌と、三味線の才能を持っていた。しかし、その性格は高慢で我儘。そして、そんな春琴に惚れ込み、三味線を習いながら、春琴の身の回りの世話をする佐助。そんなある日、とある男が春琴を恨み、その顔に熱湯をかけてしまう。火傷を負い、醜い顔を見られるのを嫌がるようになった春琴。そんな春琴に対し、佐助は針を手に、自らの目に刺そうとする・・・

愛する相手のために、自らを傷つける男。
この作品は、谷崎ファンの中でも好みの別れる話題の作品でもあります。
しかし、その端麗な文章で描かれる物語の世界は、とても美しいと定評があります。

・谷崎潤一郎の代表作(4)『細雪』


関西に住む上流階級の四姉妹の日常が描かれた作品。
谷崎潤一郎の代表作中の代表作であり、最も人気のある作品です。

この四姉妹は、谷崎潤一郎の三番目の妻・松子たち姉妹をモデルに描かれたともいわれています。そのためか、どの登場人物も個性豊かに生き生きと描かれています。
また、ただ美しいだけでなく、きちんと最後にさり気ないオチも用意されているところ。さすがは、谷崎潤一郎といえる作品ではないでしょうか。

・谷崎潤一郎の代表作(5)『鍵』


谷崎潤一郎の晩年に執筆された作品であり、発表当時は、社会的なスキャンダルになったことでも有名です。
登場人物は、初老の大学教授と、その妻、娘、そして、教授自身が娘の縁談相手として連れてきた大学生の青年。夫婦が互いに日記を書いており、更には互いに盗み見ているという設定です。

物語の世界は日記形式で進んでいくのですが、これが読み進めていくうちに、どんでん返しの連続。サスペンス的な雰囲気と、そこに滲む愛憎の物語。谷崎潤一郎だからこそ、描けた物語といえるかもしれません。
また、この作品は映画化やドラマ化もされた作品でもあります。

スポンサードリンク

この記事のまとめ


このページでは谷崎潤一郎がどんな人なのか、また、どんな作品を世に残した作家なのかを、わかりやすくご紹介してみました。

しかし、谷崎潤一郎は、現代の日本国内だと世間一般的には、あまり名前が上がらない作家です。けれど、実は世界的に有名な作家なのです。なにせ、ノーベル文学賞の候補にも挙がったほどです。そればかりか、過去にはヴェネツィアなどで、谷崎潤一郎国際シンポジウムなども開催されています。

谷崎潤一郎の描く耽美な世界観、そして、端麗な文章などは、現代でも研究者たちにとってもれば、話題に上がる人物なのです。しかしながら、その描く世界観や感性は、老若男女の区別なく万人受けするものではありません。特に、倫理的な問題や異常な女性愛を抱えた作品は、決して子供に紹介できるものではりません。

けれど、谷崎潤一郎が残した作品には、谷崎潤一郎だからこそ描けた世界が広がっています。近代日本文学を代表する作家と言って申し分ない作家です。

美しくも妖しい繊細な世界を楽しみたい方は、ぜひ一読してみてはいかがでしょうか。