前田慶次といえば戦国時代一の傾奇者という異名をもち、今も織田信長と並ぶほどの人気を誇っている武将でもあります。

その人気っぷりから少年漫画「花の慶次」の主人公としても取り上げられている前田慶次。
今回はその人物像に迫ってみたいと思います。

また父親や妻・子供といった、その家族についてもご紹介します。
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傾奇者・前田慶次の人物像とはどのようなものだったのか?


まずは前田慶次の人物像が、どのようなものだったのかをご紹介します。

漫画やゲームのイメージから、勇猛果敢でオシャレな最強の大男。前田慶次についてそんなイメージを持っている人も多いのではないでしょうか?でも実のところ前田慶次の身長は残っている甲冑のサイズから平均的で、しかも一国の主たる大名でもありません。悠々自適な生活を好んだ自由人であり、人の上に立って先導するといったことや集団に依存するということを嫌っていたと言われます。戦でも、派手で過激なファッションを好んで目立つ格好を率先していました。

天下取りや武将として自分の名をあげる事には興味のなかった慶次でしたが、戦ではめっぽう強く敵陣に突っ込んで暴れ回り一心不乱に戦う果敢勇猛なところはイメージ通りのようです。また文化人としてお茶を点てたり歌を詠んだりすることも多かったと言われていますので、かなり教養もあったのではないでしょうか。

人を笑わすのが好きで、時の天下人・豊臣秀吉の前で猿のものまねをして周囲を凍り付かせたという逸話も残っています。この時、冗談の通じる秀吉は周囲も巻き込んでこれを笑いにかえたため事なきを得ますが、笑うことをせず秀吉にも媚びへつらわない上杉景勝に大層惚れ込んで生涯仕えることとなります。

かつての主で叔父の前田利家に対しては、日頃の無礼を謝りたいと自宅に招き風呂をすすめましたがこの風呂は水風呂。怒り狂う利家を放置して、そのまま利家の愛馬に乗り前田家を奔走してしまったというエピソードが有名です。

このように人に仕え従うことが性に合わない慶次が、生涯を通して景勝に仕えたというところからどれほど景勝に心酔していたかがよく分かりますね。その後、自由な生活を送る中で生涯の友・直江兼続と出会ったとも言われています。

前田慶次の父親はどのような人物だったのか?


こうした様々な逸話が残る前田慶次。
では、慶次の父親はどのような人物だったのでしょうか?

前田慶次の出生に関する情報は諸説あり、父親が誰なのかについてもハッキリしていません。一番有力なのは織田信長の家臣であった滝川一益の甥・滝川益重が父親だという説になっています。しかしこれは定かではなく、同じ滝川一族である滝川益氏が父親だという説もあり、前田慶次の実の父親が誰なのかはハッキリとはしていません。

その後、当時の前田家当主・前田利久に子供がなかったため、利久の妻の実家であった滝川家から養子を迎えたため、前田姓を名乗ったと言われています。この養父である前田利久ですが、病弱だったこともあり織田信長によって利久は前田家当主を解任されて、弟で慶次の義理の叔父にあたる前田利家が当主とるのです。こうした経緯もあって、慶次はその後、前田利家に家臣として仕える事となるのです。

別説では、慶次の母が前田利久に後妻として入ったため、その経緯で利久の養子となったという説もある他、この母とされる女性が滝川家の血筋を引いた子供を身ごもったまま前田家に嫁ぎ、その産まれた子が慶次とする説もあります。結局どれが真実なのか、どれもいまだに解明はされていません。

ただし、慶次がもともと前田家ではなく滝川家の血筋を引くことは確かなようです。

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前田慶次の後継者は?妻や子供について解説!


では、前田慶次の妻子はどのような人物だったのでしょうか。

慶次の妻は、叔父・前田利家の兄にあたる前田安勝の娘とされる女性です。
二人の間には嫡男の前田正虎と五人の娘が生まれました。

その後、主君である利家と不仲になり出奔してしまった慶次ですが、妻とこの六人の子供たちを前田家に残して行きます。妻とその子供たちは、妻の父親・安勝がまだ健在であったためにお咎めはなかったようです。その後、1587年に慶次の養父、前田利久がなくなると、本来であれば慶次がその跡継ぎとなるのですが、肝心の本人が出て行ってしまったため、やむなく息子にあたる正虎が前田家の家臣となり、養祖父・利久の土地を継ぐ事となります。

関ヶ原の合戦前後、正虎は上杉家に仕えていた慶次に前田家に帰ってくるよう頼みますが、これを慶次が断ったために親子の縁を切ったと言われています。正虎は後継者を残さず亡くなったため慶次の正式な後継者は途絶えてしまいました。正虎は慶次と絶縁したため前田家では利家の末弟・秀継の系統として伝わっているようです。

また、慶次の5人の娘たちは全て成人してそれぞれの家に嫁いでいます。長女は前田利長の側室から大聖寺藩士である山本弥右衛門と再婚したと言われています。
次女は北条氏邦の息子である北条庄三郎へ、三女は長谷川三右衛門に、四女は平野弥右衛門に、そして五女は富山藩士である戸田方経にそれぞれ嫁いだという記録が残っています。残されている情報が少なく詳細は分かりませんが、もしかしたらこの家系のいずれかの子孫が残っている可能性はあるでしょうね。

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この記事のまとめ


前田慶次の人物像や父親、その妻子についてご紹介しました。

漫画やドラマでの奇抜な一匹狼のイメージはそのままですが、一方で一度惚れ抜いた男には一生をかけて仕えたり戦友でもある武将との友情も大事にしたりと義理堅い一面もあったようです。奇抜なただの変わり者ではなく、とても魅力的な傾奇者武将だと言えると思います。

そんな前田慶次の血を引く正当な後継者がいないことは残念ですが、後継者をあえて作らなかったところも彼らしいとも言えるかもしれませんね。