%e8%b2%bc%e3%82%8a%e4%bb%98%e3%81%91%e3%81%9f%e7%94%bb%e5%83%8f_2016_12_21_21_55 藤原定家が、百人の歌人の和歌を選び収めた小倉百人一首。こうした歌人の中で蝉丸は、坊主めくりにおける重要な役割を果たしている事でも有名です。しかし、蝉丸がどんな人だったのかをご存知の方はそう多くはないかもしれませんね。

そこで今回は、この蝉丸がどんな人だったのかを、詠んだ和歌や坊主めくりでの扱いと共にわかりやすく解説してみました。

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そもそも「蝉丸」ってどんな人?


小倉百人一首の中でも有名な蝉丸(せみまる)は、平安前期の歌人です。
また、盲目でありながら、大変な琵琶の名人であったともいわれています。

しかしそれ以外となると、色々な逸話は残されているものの、その正確な人物像は定かではありません。なぜなら蝉丸は、その本名を始め、血筋や生没年さえも不詳とされているからです。

諸説としては、第五九代天皇の宇多天皇の皇子である敦実親王に仕えた蔵人見習いであったとか、第六十代天皇の醍醐天皇の第四皇子であったなどというものもあります。しかし、そのどれもに確実性はなく、推察の域を出ないそうです。

盲目の琵琶の名手であり、平安前期の歌人という以外、その存在すら謎に包まれた蝉丸。けれど、そんな蝉丸の名は、「今昔物語集」や「平家物語」「無名抄」などにも登場し、幾つかの逸話が伝承として残っています。

特に、「今昔物語集」の中に収録された蝉丸と源博雅に関する話は有名です。
逢坂の関に庵を構えていた蝉丸を、当時、管弦の名人と評判であった源博雅が訪ね、三年がかりにしてやっと、琵琶による秘曲を蝉丸に伝授されたという話です。

また、逢坂の関に庵を構えていたという蝉丸は、逢坂の関の守護明神として祀られており、蝉丸自身が琵琶の名手であったことから、芸能や歌舞伎の祖神としても崇められています。

現在も逢坂山のある滋賀県大津市内には、関大明神蝉丸宮と称される上社に、下社である関蝉丸神社、分社の蝉丸神社など、蝉丸を祀る三つの神社が存在しています。

つまり、蝉丸と逢坂の関は、切っても切れない関係にあるのです。
因みに、小倉百人一首に収められた蝉丸の和歌も、この逢坂の関を題材としたものです。

そこで次項では、百人一首に収められた蝉丸の和歌について解説していきます。

小倉百人一首に収録された蝉丸の和歌を解説


これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関

こちらが、小倉百人一首・第10番に収められている蝉丸の和歌です。
逢坂の関を題材としたこちらの和歌は、小倉百人一首の中で5本の指に入る程有名なのではないでしょうか。


それでは、早速、蝉丸の詠んだ和歌の意味を、簡単な現代語にしてみたいと思います。

これこそが正に、東の国へと旅立つ人も、そこから帰り別れる人も、また、見知る同士も見知らぬ同士もみな出逢い別れる、そんな出逢いが行き交うという逢坂の関か


昔、逢坂の関とは、日本の令制国であった山城国と近江国の国境となっていた関所であり、東海道と東山道(後の中山道)の二本の街道を越える、交通の上では重要な関でした。その名に相応し、くかつて、この関では、人々の出逢いや別れという光景が、数多見られたことでしょう。

人は、出逢いや別れを繰り返し、生きていくものです。正しく逢坂の関の光景は、人生の縮図にも感じられたかもしれません。そして、その光景を見た蝉丸もまた、逢坂の関が持つ特有の情景に、思わず歌いたくなってしまったのではないでしょうか。

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百人一首の坊主めくりで蝉丸が出たらどうなる?


ここまで、蝉丸の人物像や和歌について解説してきました。
続いては、百人一首を使ったかるた遊び「坊主めくり」において、蝉丸が持つ役割を解説していきたいと思います。

かるた遊びである「坊主めくり」は、その名が示す通り、絵札をめくっていく遊びです。しかしこの坊主めくりの中で、蝉丸の絵札が出たときほど、緊張感を伴う瞬間はありません。

実は、この蝉丸の絵札が出たときには、特別なルールが発動するのです。
それは、全員が持ち札を全て捨てなくてはいけないというものです。

坊主めくりは、めくる絵札がなくなったとき、一番絵札を所持していた人が勝ちという遊び。
それなのに、蝉丸が出た瞬間、これまで獲得した札を全て捨てる必要があります。それまで順調に勝ち進んでいた人も、これをキッカケに勝敗が分からなくなってしまうかもしれません。

また、蝉丸のルールには、地域によっても違いがあるようです。
先にご説明したように、全員がすべての持ち札を捨てなくてはいけないというルールの他にも、引いた人は一回休みになるというものや、蝉丸の札を引いた瞬間、最下位が決定してしまうという過酷なものまであります。

どのルールにしても、蝉丸の絵札を引いた瞬間、アンラッキーなことが起きることに違いはありません。おかげで坊主めくりにおける蝉丸は、残念ながら嫌がられる存在となっています。

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この記事のまとめ


今回は蝉丸がどんな人だったのかを、小倉百人一首の和歌や坊主めくりにおけるルールも含めてご紹介しました。

坊主めくりの中で煙たがれる存在になっている蝉丸。しかし、いつから蝉丸が坊主めくりにおいて特別な存在になったのかは定かではありません。
謎多き人物である蝉丸ですが、逢坂の関と縁が深い事は確実だとされ、百人一首における歌人、あるいは芸能の祖神として今なお広く知られています。
今度坊主めくりをする時は、蝉丸の人物像を想像しながら遊んでみてはいかがでしょうか。

なお、以下の記事では小倉百人一首の成立の経緯について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:小倉百人一首の成立や作者の藤原定家について。使われた和歌集は?