大河ドラマ「いだてん」で、日本人女性初の金メダリストとなった競泳の前畑秀子さんが登場する事が発表されました。若手女優の上白石萌歌さんが演じる事でも話題になってますよね。

そこで今回は、前畑秀子選手の結婚相手や子供がどんな人なのか、および出身の和歌山県橋本市について解説してみました。

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前畑秀子さんの結婚相手、兵藤正彦さんってどんな人?


前畑秀子さんの結婚相手は兵藤正彦さんという方です。この二人は1937年、お見合い結婚という形で結ばれました。兵藤正彦さんはこの時期、名古屋医科大学(現在の名古屋大学医学部)で助手をしていたそうです。年齢に関しては前畑秀子さんは当時22歳。一方の兵藤正彦さんは5歳年上の27歳でした。お医者さんと結婚なんて、今でも憧れる女性は多そうですよね。

二人の仲人を努めたのは、椙山正弌(すぎやま まさかず)さんという方です。1905年に椙山女学園(すぎやまじょがくえん)という学校を設立した事で知られており、また前年のベルリンオリンピックの後に競技を離れていた前畑秀子さんを受け入れた事でも知られている方です。
前畑秀子さんは結婚後、椙山女学園の職員として若者の育成に尽力されています。

二人はその後、名古屋市千種区に居を構えます。幸せな生活を送った…と思いがちですが、この時期は日本が戦争に突入していった時期でもあります。そして、結婚してわずか5ヶ月後、兵藤正彦さんに召集令状が。お医者さんだったためか、軍医としての召集だったみたいです。前畑秀子さんにとっては、とてもショックだったでしょうね。

兵藤正彦さんは結果として、合計3回の召集を受けますが、内地での勤務だった事もあってか、戦後に無事復員。その後は開業医として岐阜県岐阜市の長森という所に移住しました。前畑秀子さんも着いていき、看護師の見習いとして働かれていた時期もあったそうです。

しかし、前畑秀子さんが45歳の頃、兵藤正彦さんは脳溢血(のういっけつ)でなくなられてしまいます。まだ50歳という若さでした。前畑さんがどれほどショックだったかは想像を絶するものがあります。しかし、いつまでも悲しんでいる訳にもいきません。前畑秀子さんはその後、一時は距離を置いていた水泳の世界に復帰。「ママさん水泳教室」を開くなど、幅広い領域で活躍される事になります。

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前畑秀子さんの2人の子供について調べてみた


前畑秀子さんには子供がいたのかも気になりますね。

前畑秀子さんは兵藤正彦さんとの共に、二人の男の子に恵まれたそうです。長男は正臣さん次男は政時さんという方で、前畑秀子さんが45歳の時、正臣さんは高校3年、政時さんは高校1年だったのだとか。29歳と27歳頃に出産されたのだと思われます。

お二人についてインターネットで調べてみました。次男の政時さんについての情報はありませんでしたが、長男の正臣さんが2016年にインタビューに回答されていた記事が見つかりました。
記事によると、正臣さんは中学、高校時代は母親の影響もあってか水泳部に所属されていたそうですが、「前畑の息子はいつもビリ」と言われ、悔しい思いをされていたそうです。お仕事は、岐阜市で歯科医師をされているとの事でした。

2014年には、前畑秀子さんの出身地である和歌山県橋本市で行われた「畑秀子・古川勝 記念大会」において、正臣さんは来賓として出席されています。

一方、次男の政時さんですが、椙山女学園によると、2014年においては既になくなられているとの事。ただ2014年の中日新聞の記事において、政時さんの奥さまである尚子さんと、息子さまの大二郎さんが、同年10月に開催された「前畑秀子展」のために資料提供を行った事が報じられています。

東京オリンピックも近くなり、前畑秀子さんへの注目も今後、より集まりそうですね。

※参考:1964年東京オリンピックの競技や開会式について。都知事は誰?

前畑秀子さんの出身地、和歌山県橋本市ってどんなところ?


最後に、前畑秀子さんの出身地である和歌山県橋本市についても見ていきたいと思います。

前畑秀子さんは1914年、現在の和歌山県橋本市(当時は伊都郡橋本町という名称でした)で生まれました。奈良県から和歌山県まで流れる紀ノ川で水泳に親しんでいた事が知られています。この原体験が、水泳選手・前畑秀子の基礎を築いたのだと思われます。

この橋本市ですが、和歌山県の北東にある市として知られています。
以下のWikipediaの画像が分かりやすいと思います。

※参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/橋本市

橋本市はいわゆる「和歌山府民」と呼ばれる場所で、大阪へ出勤される方が多い傾向にあります。なお、前畑秀子さんは高等小学校を卒業後、名古屋の椙山女学園に編入しており、大阪との縁が特にある訳ではなさそうです。

現在、前畑秀子さんは橋本市の名誉市民として表彰されています。橋本市は2014年より、前畑秀子生誕100周年事業をスタートし、常設展「前畑秀子のすべて」の開催をはじめ、のぼりや資料集の作成、県立体育館で生誕100周年記念展等を実施しました。また、前畑秀子さんとの縁が深い名古屋市や岐阜市と共に、前畑さんを朝ドラの主人公にするための誘致活動も行っていたそうですが、こちらについては2018年12月に終了しています。

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まとめ


前畑秀子さんの結婚相手である兵藤正彦さんや、お二人の子供、および出身地である和歌山県橋本市についてご紹介しました。

橋本市が進めていた、前畑秀子さんを朝ドラで取り上げるという取り組みは上手くいきませんでしたが、展示については前畑さんの次男、政時さんのご家族が資料提供を行う等、話題を集めました。

また、前畑秀子さんは橋本市の他に、結婚相手である兵藤正彦との居を構えた岐阜市との関わりも深い事で知られており、長男の正臣さんは岐阜県内で歯科医師として働かれているそうです。

東京オリンピックの開催に伴い、前畑秀子さんが話題を集める事も増えそうです。今後、前畑秀子さんがどのように取り上げられるかも、注目していきたいですね。