新元号の発表で、かつてないほど元号に注目が集まってますね。

元号と言えば、2文字のものが用いられると国の指針で決まっているのですが、では過去の歴史において、3文字の元号が使用された事はあったのでしょうか。

今回は、3文字の元号が過去に存在したのかを、日本および中国の元号から調べてみました。

※追記:
新元号が「令和」と発表されました。由来は万葉集で、日本の古書から用いたものとしては初めての事例になるそうです。

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日本で3文字の元号が用いられた事はあるのか?


実は日本では、3文字の元号が使われた事はありません。

4文字なら、以下の5つの元号があるんですけどね…。

天平感宝(てんぴょうかんぽう、749年4月~7月)
天平勝宝(てんぴょうしょうほう、749年7月~757年)
天平宝字(てんぴょうほうじ、757年~765年)
天平神護(てんぴょうじんご、765年~767年)
神護景雲(じんごけいうん、767年~770年)

これらはいずれも奈良時代の元号。見ての通り、749年から767年はずっと4文字だった事がわかります。

ちなみに最初の「天平感宝」の前の元号は「天平」。日本史で習った「天平文化」を思い出された方もいるかもしれませんね。

※参考:飛鳥文化、白鳳文化、天平文化の違いをわかりやすく解説!

ちなみに、当時の天皇は以下の通りでした。

・天平感宝:聖武天皇
・天平勝宝:孝謙天皇
・天平宝字:孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇
・天平神護:称徳天皇
・神護景雲:称徳天皇


このうち、孝謙天皇と称徳天皇は同一人物です。藤原仲麻呂の乱が勃発したり、道鏡という僧侶が権力を持った時期の天皇として有名ですね。

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中国では過去に3文字の元号が使われた事がある!?


日本には3文字の元号はないのですが、海外に目を向けてみると、お隣の中国で3文字の元号が使われていた事がわかりました!

それがこちらです。

始建国(しけんこく、9年〜13年)
中大通(ちゅうだいつう、529年 – 534年)

このうち、前者の「始建国」は、前漢を滅ぼした新王朝の創業者、王莽が最初に定めた元号として知られています。ちなみに王莽が設立した新王朝は民衆からの評判が悪く、始建国の次の元号「天鳳」が定められた14年に反乱が勃発。その9年後の23年に、新王朝は滅亡しています。

また後者の「中大通」ですが、南北朝時代の王朝、梁の武帝として知られる蕭衍(しょうえん)の治世に使用された4つ目の元号です。梁の武帝は45年以上も皇帝を務めた事で知られており、「中大通」を含めた7つの元号を使用した事でも知られています。

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まとめ


3文字の元号が使われた事があったのかを、日本と中国の歴史の中から調べてみました。

日本では、奈良時代に4文字の元号が使用された事があったものの、3文字の元号が用いられた事はこれまで一度もありません。一方、お隣の中国では、過去に2度、3文字の元号が使用された事があります。

現在の日本では、元号は2文字のものを採用すると定められており、今回も「令和」と、二文字におさまっています。今後も3文字の元号が使われる可能性はほぼ皆無だと思われます。