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季節を表す「季語」を使い、五・七・五の十七文字で表現する俳句。
この俳句と聞くと、多くの人が松尾芭蕉の作品を思い浮かべるのではないでしょうか。

江戸時代の初めに活動し、俳句を芸術にまで高めた芭蕉。
彼が詠んだ有名な俳句を5つ選び、つくられた時期の順に意味も含めご紹介します。

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斬新な音表現を使った、松尾芭蕉の有名な俳句その1


古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音
(意味:古い池に蛙が飛び込み、水の跳ねる音が聞こえる


芭蕉の俳句でもっとも有名なものではないでしょうか。
この句が詠まれたのは1686年、芭蕉43歳のとき。
季語は春を表す「」です。

多くの弟子を家に集め、「蛙」をテーマにした会を開いた時に、この句は詠まれました。
蛙が古い池に飛び込んだ様子を詠んだ単純な句なのですが、音を強調した点が当時としてはとても斬新でした。

それまで「蛙」をテーマにするときは、その鳴く姿に焦点が当てられることが多かったのですが、芭蕉は蛙が飛び込むときの「ポチャッ」という音に注目したのです。

人間のはかなさを詠んだ、松尾芭蕉の有名な俳句その2


夏草や 兵どもが 夢の跡
(意味:夏草だけが生い茂っている。ここはかつて奥州藤原氏が栄華を誇った場所だ


1689年3月、芭蕉は旅に出ます。この旅はのちに『おくのほそ道』としてまとめられました。
江戸を出て北上し、東北・北陸地方を巡って、8月下旬には終着点の大垣(現在の岐阜県大垣市)に着いています。

この句は5月、平泉(現在の岩手県)を訪れたときに詠まれた句です。この平泉という地は、平安時代に奥州藤原氏と呼ばれる一族が栄華を誇った場所として知られています。芭蕉は、金箔を張り巡らせたお金色堂で知られる中尊寺などの奥州藤原氏の屋敷跡などを巡りました。

田畑に変わり果て、ただ夏草だけが茂る屋敷跡を見渡して、芭蕉はこの地で栄華を誇った者や、そこに仕えて功名を競い合った武士たちの姿を思い浮かべつつ「すべては短い夢のようだ」と儚んだのです。

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ふたつの「最上川」を意味する、松尾芭蕉の有名な俳句その3


五月雨をあつめて早し最上川
(意味:五月雨を集めてきたように流れが早いなぁ、最上川は


こちらも『おくのほそ道』の旅で詠まれた句です。
季語は梅雨に降り続く長い雨を表す「五月雨」です。
ちなみに旧暦の夏は4~6月にあたり、このうち5月が梅雨の時期に該当しています。

平泉を訪れたあと、芭蕉は現在の山形県に入ります。最上川を下るため、大石田という港で川を下るのに最適な天候を待っていたところ、地元の人に頼まれて俳諧の会を開きました。

実はこのとき、芭蕉は「五月雨をあつめて涼し最上川」と詠んでいます。最上川が、涼しい風を運びながら穏やかに流れる様子を表現しています。

しかしその後、実際に最上川を船で下ったところ、激流であるうえに難所続きで大変な目に遭い、思わず「あつめて早し」に変えてしまったのです。最上川の流れがよっぽど怖かったのかもしれませんね。

心象風景を描いた、松尾芭蕉の有名な俳句その4


荒海や 佐渡に横たふ 天の河」
(意味:海は荒れているが、佐渡島の島影の上には天の川が横たわっている


続けて『おくのほそ道』より7月の句をご紹介します。季語は「天の河(天の川)」という秋の季語です。芭蕉は現在の山形県域を東から西へと横断し、日本海へ出た後は南下しました。7月に現在の新潟県・出雲崎に着き、この句が詠まれたとされています。

とてもスケールの大きな句で、『おくのほそ道』に掲載されている俳句の中でも名句とされています。佐渡島は古くから流刑の島であり、権力争いに敗れた天皇や貴族も流されました。「荒れる海の向こうの佐渡島」は彼らの悲劇をイメージさせます。

ところで、この句は芭蕉の心象風景、つまり想像でつくった句といわれています。

理由は2つ。
ひとつは、旧暦7月に天の川が佐渡島に横たわるようには見えないこと。
もうひとつは、この旅に同行した弟子の日記によると、出雲崎にいたときは雨が降っていたと記されていることが挙げられます。

しかし、このことは芭蕉の構成力がすぐれていることの現れともいえます。

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俳句への執念を描いた、松尾芭蕉の有名な句その5


旅に病(やん)で 夢は枯野を かけ廻(めぐ)る
(意味:旅先で病気にかかっても、夢の中では草木が枯れた冬の野をかけめぐっている


1694年5月、芭蕉は江戸を出発し、故郷の伊賀上野へ向かう旅に出ます。京や奈良を巡った後の9月、芭蕉は不仲になった2人の弟子の間を取り持つために大坂へ向かいます。弟子のひとりの家に泊まり、仲直りをするように説得した芭蕉ですが、なかなか自分の言う事を聞き入れてもらえません。

このことが原因だったのか、芭蕉は体調を崩し、10月には知人が貸してくれた家で寝込んでしまったのです。この時、芭蕉が寝床で詠んだのが上記の「旅に病んで〜」の句です。
季語は冬を表す「枯野」です。

病に倒れてもなお、俳句を詠む芭蕉の執念に心打たれます。しかも、中と下の句をどうすべきか悩んでいたそうです。2つ目と3つ目の「夢は枯野をかけ廻る」は、その執念の表れといえるでしょう。

この句を詠んで4日後、芭蕉は50歳でこの世を去りました。葬儀(会葬)には300人以上が訪れたと言われています。

この記事のまとめ


今回は、松尾芭蕉が詠んだ有名な俳句を、その意味も含め5つに絞ってご紹介しました。

「古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音」
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
「五月雨をあつめて早し最上川」
「荒海や 佐渡に横たふ 天の河」
「旅に病(やん)で 夢は枯野を かけ廻(めぐ)る」


こうした一つひとつの句にあるさまざまなエピソードを知ると俳句が理解しやすくなるのはもちろん、松尾芭蕉の人となりもわかる気がしますね。

ちなみに、芭蕉の年表については以下の記事でわかりやすく解説しています。あわせてご覧になってみて下さい。

※参照:松尾芭蕉ってどんな人?年表や奥の細道を小学生向けに解説!