社会科の歴史の授業の中には、必ず江戸幕府が出てきますよね。
この幕府は、265年間も安定した政治を続けました。

一体なぜだったのでしょうか?

このページでは江戸幕府について、年表や安定した理由を考えながら、小学生の方向けにわかりやすく解説します。

スポンサードリンク

江戸幕府ってなに?小学生向けにわかりやすく解説!


江戸幕府は、江戸城を本拠地におく徳川氏による武家政権です。1603年に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命された徳川家康が江戸(いまの東京)に開き、第15代の徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還(たいせいほうかん)をするまでの間、265年間にわたり日本国の政治を行いました。

この江戸幕府は、鎌倉幕府、そして室町幕府に続く日本で3つ目に置かれた幕府です。それだけ、この2つの幕府の失敗をよく研究していました。例えば鎌倉幕府で将軍を助ける執権(しっけん)という役職の力が強く、時には将軍より強かった事もありました。また室町幕府では全国の守護大名(しゅごだいみょう)が強かったため、幕府とそのトップの将軍の力は不安定なものでした。

その点、江戸幕府は将軍を助ける老中(ろうじゅう)という役職につく人を複数おいて、1人の人が強くなる事を防ぎました。また日本全国の4分の1を直接支配したり、戦国時代に強かった大名を政治に参加させないようにして、幕府の力が弱くならないように工夫しました。その結果、江戸幕府はとても安定した政治を行う事ができたのです。

スポンサードリンク

小学生でもわかる!江戸幕府のわかりやすい年表


江戸幕府のあった時代を江戸時代といいますが、どんなできごとがあったのでしょうか。小学生の方にも流れがつかみやすいよう、江戸幕府の年表をご紹介します。また、それぞれの年号には〈〉内に当時の将軍名を入れました。


・1603年〈初代・家康〉
徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸幕府をひらきます。

・1615年〈2代・秀忠〉
武家の守るきまりである武家諸法度(ぶけしょはっと)が出されました。
同時に、禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)も出されます。
天皇や公家が守るきまりでした。

・1635年〈3代・家光〉
大名に領国と江戸とを1年ごとに往復させる参覲交代が制度化させます。
日本人が海外に行く事が禁止されます。

・1639年〈3代・家光〉
ポルトガル船が日本に来る事が禁止されます。
鎖国政策が完成しました。

・1687年〈5代・綱吉〉
犬を筆頭に動物を保護する生類憐みの令が定められます。

※参照:徳川綱吉ってどんな人?年表や生類憐れみの令も解説!

・1716年〈8代・吉宗〉
将軍・吉宗による「享保の改革」がはじまります。
大名から一定の米を上納させる「上げ米」などが行われました。

・1787年〈11代・家斉〉
老中・松平定信による「寛政の改革」がはじまります。
飢饉に備えて米を備蓄する「囲い米」などが行われました。

・1830年〈12代・家慶〉
老中・水野忠邦による「天保の改革」がはじまる。
商業を独占する株仲間(かぶなかま)の解散などが行われました。

・1837年〈12代・家慶〉
貧しい人々を救おうとした幕府の役人、大塩平八郎が反乱を起こします。
結果は失敗に終わりましたが、江戸幕府に大きな影響を与えました。

・1853年〈12代・家慶〉
ペリーの黒船が浦賀に来航し、開国を要求します。
鎖国を続けるか、開国をするか、幕府は大きな決断を迫られます。

・1854年〈13代・家定〉
アメリカと日米和親条約を結び、鎖国をやめて開国をする事にします。

・1858年〈14代・家茂〉
大老・井伊直弼(いいなおすけ)が日米修好通商条約をアメリカと結びます。

※参照:井伊直弼の人物像について。周囲の評判やお茶の逸話とは?

・1866年〈14代・家茂〉
薩摩藩(今の鹿児島県)と長州藩(今の山口県)が薩長同盟を結びます。
この時期から、江戸幕府を倒す動きが本格化します。

・1867年〈15代・慶喜〉
徳川慶喜が大政奉還により朝廷に政権を返上します。
この出来事によって、江戸幕府は終わりを迎えました。



徳川慶喜は大政奉還をした後、薩摩藩、長州藩を中心とした新政府軍と戦うことになりますが敗北します。その後、新政府軍は幕府の本拠地である江戸を攻撃しようとしますが、江戸幕府と新政府軍の交渉によって攻撃は中止されました。こうして250年以上続いた江戸時代が終わり、明治時代が始まったのです。

江戸幕府が安定した理由を分かりやすく解説!


とは言え、江戸時代は250年以上も続いたのです。
江戸幕府が安定した理由は何だったのでしょうか。

もう少し詳しく見ていきましょう。

一つには、幕府が強大な力をもっていたことによります。旗本八万騎(はたもとはちまんき)と呼ばれるほど多くの徳川軍を武力としてもち、経済的にも約700万石の石高(収入)がありました。幕府をたおした薩摩藩と長州藩を合わせても200万石にも達してないのですから、江戸幕府の力がすごかった事はよく分かりますね。

また、江戸幕府の支配体制である幕藩体制(ばくはんたいせい)がきちんと機能した事も、江戸幕府が安定した理由だと言われています。江戸幕府は日本全国を天領と藩領とに分け、天領を直接治め、藩領は徳川氏と主従関係を結んだ大名に支配させました。そして江戸幕府は江戸幕府は大名を親藩(徳川の親戚)、譜代(昔からの家来)、外様(関ヶ原の合戦以後の家来)に分けて、外様大名は遠い地に大きな領土を与え、親藩・譜代大名に見張らせました。これによって、江戸幕府に歯向かう大名は幕末まで出て来ない状態を作り上げる事ができたのです。

もう一つ、江戸幕府は外国とのお付き合いもしっかりしていました。江戸時代の日本は鎖国をしていましたが、江戸幕府は長崎の出島でオランダ・清国などと貿易をしています。江戸幕府は全国の大名が貿易を行う事を禁止すると同時に、外国が日本の政治に関わらないようにする対策も怠りませんでした。この点も、江戸幕府が安定した理由として言われる事があります。

スポンサードリンク

この記事のまとめ


今回は江戸幕府について、年表や安定した理由などを、小学生の方にも分かりやすいようにまとめてみました。

三度目の正直という言葉がありますが、三度目の幕府となった江戸幕府は、非常に組織が安定していました。朝廷や諸大名の統制もみごとでした。
これには、武士と農民が完全に分離していたこと、相続が長子単独相続になっていたことなど社会の状況が幕府の支配に適していたもこともありますが、何よりも、信長・秀吉につぐ三人目の天下人となった徳川家康の、苦心の設計があったからだと言えそうです。

なお、以下の記事では江戸幕府、鎌倉幕府、室町幕府を比較して解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府の特徴と違いを解説!