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現在の鹿児島県と宮崎県の一部を治めていた薩摩藩は外様大名でありながら、加賀百万石につぐ石高を誇る大きな藩でした。

薩摩藩の領地や石高はどれ位だったのでしょうか。このテーマについて見ていくと共に、薩摩藩の藩主である島津家の家紋についても解説します。
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薩摩藩の領地はどれ位?その実際の石高とは?


薩摩藩の領地は、一体どれ位だったのでしょうか?


まず、江戸時代の島津家がおさめていた領地は、以下の4カ国でした。

薩摩国(現在の薩摩半島西側全域)
大隅国(現在の大隅半島全域)
日向国(宮崎県の南西部)
琉球王国(奄美諸島を含む沖縄県全域)


これ以前の1590年代に行われた太閤検地の結果、以下の石高が算出されています。
※参照:検地をわかりやすく解説。方法や太閤検地との違いは?

・薩摩国:28万3500石
・大隅国:17万5千石
・日向国:12万石


→合計:57万8500石


これに加え江戸時代初期、琉球王国12万3700石が加わったため、薩摩藩の石高は70万石以上と、加賀の前田家に継ぐものへと成長していきました。しかし、薩摩の地は火山灰が降り積もったシラス台地ゆえに、作物が育ちにくいという特徴もあり、実際の石高は30万石程度だったと言われています。

それでは、なぜ薩摩藩の石高が70万石以上になったのか。それは、実際の石高より高い評価をすることにより、薩摩の負担を大きくし、力を削ぐという目論見があったといわれています。江戸幕府は薩摩藩を恐れていたとも考えられており、それは関ヶ原の戦いで西軍に加わった島津家を処分できなかった事でもわかります。

そしてその250年後、幕府の杞憂は本当になるのですから驚きですね。

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薩摩藩の人口はどれ位だったのかを簡単に解説


薩摩藩の人口については、江戸時代に制定された「宗門人別改帳制度」によって、以下のデータが公開されています。

1698年:26万人ほど
1706年:45万人ほど(琉球王国を含めれば66万人以上)
1732年:34万人ほど(この年の琉球王国のデータは無し)
1772年:63万人ほど(琉球王国を含めれば82万人以上)
1852年:62万人ほど(琉球王国を含めれば84万人以上)


時期によって上下はあるものの、全体的に増加しているのが分かりますね。これは、江戸時代前期におこった急速な人口の増加のほか、薩摩藩が行った調査には全体を通して多くの抜け漏れがあった点が指摘されています。

また、薩摩藩の人口のおよそ3割は武士だったと言われています。ただ彼らの生活は貧しく、裕福な暮らしを享受できるのは、藩主である島津家とそれに近い者に限られていたとされています。

薩摩藩の家紋とその意味について解説!


最後に、薩摩藩の藩主である島津家の家紋とその意味についてもご紹介します。

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島津家の家紋は、丸に十の字の紋になっています。当初は外郭の丸はなく、単に「十」だけでした。 十字紋はもっとも古い紋のひとつで歴史も古く、鎌倉時代には清和源氏の小笠原氏、藤原秀郷なども用いていました。

平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した島津忠久の甲冑にはすでに十文字紋が描かれており、『蒙古襲来絵巻』の島津久親・久長の兵船の幡にも十文字紋が用いられているのが分かります。十字紋は島津氏の一族も用いていますが、宗家以外は十字の原形を少しずつ変えて用いたことから多彩な十字紋が生じています。

ところで、この家紋はどのような意味があるのでしょうか?


・絡み合って昇天する二匹の龍を表している説
・出陣戦勝の呪いという説
・キリスト教の印という説
・「十字を切る」という呪符という説
・轡紋から転じたとする説


「十字紋」の意味は諸説あるものの、現在では呪符説が定説となっています。十字を切る行為が災厄を打ち払い、福を招くものと信じられ、縁起のよい印として家紋に用いられるようになったと考えられます。

一般的に知られている島津の家紋「丸に十字紋」が定着していったのは、江戸時代になって衣服などに門を用いるようになってからだと考えられます。

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この記事のまとめ


このページでは薩摩藩の領地や人口の規模、そして藩主の島津家が使っていた家紋とその意味について解説しました。

表向きは70万石という石高を持っていながら、実際の石高はその半分以下であった薩摩藩。その財政は厳しく、歴代藩主やその側近たちは度重なる改革を行うのは勿論のこと、娘を徳川将軍に嫁がせるなど、その政治的な影響力の向上を度々試みていた事でも知られています。
こうした度重なる試行錯誤の結果が、幕末に活躍する多くの志士たちを輩出する結果になったのかもしれませんね。

なお、以下の記事では薩摩藩の藩主である島津家の家系図について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:島津家の家系図を簡単に解説。薩摩藩の歴代藩主は?