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「西郷さん」と呼ばれ、多くの人から親しまれる西郷隆盛ですが、どんな両親に育てられ、若い頃はどのような事をしていたのかについてはあまり知られていませんよね。

そこで今回は、西郷隆盛の若い頃を追うとともに、偉人・西郷隆盛を生み出した両親とは一体どんな人だったのかについて迫ります。

また、主君である島津斉彬との関係についても解説してみます。
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西郷隆盛の若い頃についてわかりやすく解説!


西郷隆盛というと、薩長同盟や戊辰戦争、西南戦争といった、中年から晩年にかけての活躍が目立ちます。では、若い頃の西郷隆盛はどのような人物だったのでしょうか。

まだ20代の若い頃、西郷は当時薩摩藩主であった島津斉彬の秘書的立場にありました。斉彬は第14代将軍に徳川慶喜を擁立し、中央集権体制による政治の確立を目指していました。西郷は斉彬の手足となり、この政治機構の実現のために奔走していたのです。

ところが大老に井伊直弼が就任し、14代将軍に徳川家茂が就任すると、西郷は一転して幕府から追いかけられる立場になります。同時期に斉彬が急死したこともあり、傷ついた隆盛は自殺(殉死)を計りました。斉彬の死後に殉死まで企てる西郷は、忠義心にあつい青年であったと言えそうですね。

一方で、斉彬の死後にはこんなエピソードもあります。
斉彬の死後、薩摩藩の実権を握った島津久光は、政治権力を握るために京都に上洛しようとします。ところが西郷は「久光には人望がないため止めた方がよい」と苦言を呈します。これに不快感を覚えた久光は西郷に待機命令を出しますが、脱藩藩士たちが京都で暴動を企てていることを知った西郷は、これを阻止するため、待機命令を破り上京を計ります。このことに激怒した久光は、西郷を徳之島・沖永良部島に流したのです。権力者の命令も恐れずに行動するところに、信念を貫く意志の強さを感じますね。

ちなみに、沖永良部島にはこの時の西郷隆盛を模した像があります。西郷隆盛というと恰幅のいい姿を想像しますが、若い頃は痩せていたようで、この銅像も細身の体型となっています。

西郷隆盛の両親ってどんな人?その父母を紹介!


若い頃の西郷についてご紹介しましたが、では彼の両親はどのような人だったのでしょうか。

西郷隆盛の父親は西郷吉兵衛、母親はまさという人物です。父の西郷吉兵衛は下級武士であり、収入が少ない中7人もの子どもを抱えて生活をしなければなりませんでした。ですが吉兵衛は常に明るく、出世のスピードこそ遅いものの人格者として慕われていたそうです。隆盛の大らかで多くの人に愛される性格は、父親譲りなのかもしれませんね。

また、母親のまさは家計を支えるために内職に励みながらも、文句を言わずに生活をしていたようです。まさは西郷に「貧乏が恥なのではない、貧乏に負けることが恥なのだ」と教え続けました。この「負けるな」という精神は、薩摩にある「郷中教育」の教えに基づくものでした。日々の生活を通じて逆境に負けない精神を教え続けたまさのお蔭で、西郷はどんな境遇でも意志を強く持ち、決して負けない精神力を培うことができたのではないでしょうか。

西郷の両親は隆盛の性格形成に大きく貢献した、一番身近な人格者だったのかもしれませんね。

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西郷隆盛と島津斉彬は強い信頼関係で結ばれていた


島津斉彬が急死した際、西郷隆盛は自殺(殉死)を企てています。
そんな二人の関係はいったいどのようなものだったのでしょうか。

西郷隆盛と島津斉彬の関係は、西郷が20代前半の頃にさかのぼります。1849年に薩摩藩主の後継者をめぐって島津斉彬派と島津久光派で争いが起こります。(お由羅騒動
この時、斉彬派の1人で西郷家とも親しかった赤山靱負(あかやま ゆきえ)という人物が切腹に追い込まれているのですが、これを見た忠誠心のあつい西郷は、赤山の遺志を継いで斉彬を支える決断をしたと言われています。

1551年に藩主に就任した斉彬は、幅広く意見を募り積極的な人材登用を行います。この時、西郷は農政に関する建白書を書き続け、それが斉彬の目に留まり抜擢されたのです。斉彬が参勤交代で江戸に赴く際、西郷もこれにつき従います。斉彬は西郷を「庭方役」に命じ、秘書的な立場に置きました。これによって隆盛は、斉彬につき従って見識を広げるとともに、斉彬の手足となって活動を開始します。

下級武士と藩主という間柄でありながら、二人の関係とは非常に親密であり、強い主従の絆があったと言えるでしょう。斉彬は自分を見出してくれた恩人であったからこそ、隆盛も殉死をしようと考えたのでしょうね。

※参照:島津斉彬の父親や妻について解説。子供はいたの?

この記事のまとめ


このページでは西郷隆盛について、若い頃や両親のエピソード、そして島津斉彬との関係について解説してみました。

西郷隆盛は若い頃から忠誠心にあつく、また自分の意志を通すためには処罰も恐れずに行動をする青年でした。そんな西郷隆盛の性格形成には、両親そして主君である島津斉彬が多分に影響していると考えられます。西郷隆盛と島津斉彬は非常に親密な関係で、隆盛にとっては恩人でもありました。

幕末から明治初期にかけての活躍が目覚ましい西郷隆盛ですが、若い頃や彼の人格形成に関わった人物にも着目してみると、彼の人物像をより深く理解することができるでしょう。

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