%e8%b2%bc%e3%82%8a%e4%bb%98%e3%81%91%e3%81%9f%e7%94%bb%e5%83%8f_2016_12_25_10_24 大河ドラマ「おんな城主直虎」では、桶狭間の戦いで戦死した井伊直盛の後継者・井伊直親の後見人として、中野直由(なかのなおよし)という武将が登場します。

ドラマでは筧利夫さんが演じる中野直由とは、一体どのような武将だったのでしょうか。

直由の子供・中野直之(なかのなおゆき)の生き様もあわせてまとめてみます。

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中野直由とはどのような武将だったのか?


中野直由(なかのなおよし)は、命がけで井伊家を支えた忠義の武将といえます。

もともと、中野家も先祖を辿ると井伊家に繋がっています。いわゆる庶子家という点で、奥山朝利を輩出した奥山家と同じような井伊氏一門でした。家が分かれたのは、直由のおじいちゃんの代といいますから、直由にはまだまだ一つの家という意識が強かったことでしょう。

1560年、桶狭間の戦いで今川義元、そして従軍していた井伊家の当主・井伊直盛は戦死します。死の直前、直盛が心配した事は、井伊谷が今後どうなってしまうのか、ということだったのでしょう。直盛は、次の遺言を残します。

・跡継ぎは、養嗣子の井伊直親とすること

しかし、井伊直親は、かつて小野政次の父・小野政直の讒言によって父・直満が自刃に追い込まれ、直親自身も命を狙われ続けたトラウマから、家老の小野政次とは険悪な関係でした。小野政次もまた、父・小野政直の遺志をついで、井伊谷の乗っ取りを目論んでいました。そうすることが父・政直への孝、あるいは主君今川氏への忠義とでも思っていたかのようです。

直盛はそのことを知っていました。知っていたからこそ、今回の出兵に際しても、井伊谷でおかしなことが起こらぬよう、信頼できる家臣の中野直由に留守居を命じてきたのです。義元亡き後の今川では、早晩井伊家は立ち行かなくなる…そう案じた直盛は遺言に次の内容を追加します。

・中野直由を直親の後見役とする。

この遺言を実行したのは、既に隠居の身であった直親の祖父・井伊直平だと考えられます。そして遺言通り中野直由が後見役となりました。

後見役となった中野直由は、小野政次の専横を防ぐために彼をけん制します。この中野直由のために小野政次は相当手を焼いたのでしょう。最終的に、小野政次は今川氏真への讒訴という暴挙ともいうべき強硬手段で直親を陥れます。直親は、この讒言を信じた今川氏により誅殺されるという非業の死をとげました。

中野直由は、直親が今川氏に誅殺されたのちも井伊谷城主の代理のような立場で井伊家を支えます。しかし1564年、今川氏の軍令により、反今川に転じた飯尾氏の居城・引馬城攻めに加わっていた最中、ともに井伊家を守ってきた新野親矩ともども戦死しています。

その後の井伊家は、柱石となる家臣を失い、苦肉の策で井伊直虎を中継ぎの当主に立てます。
しかし、今川氏の影響力を背景に、小野政次は井伊谷を横領するための動きを強めることになりました。

このことからも、中野直由がどれだけ小野政次を押さえつけてたのかが分かります。また、直親の子・虎松(のちの井伊直政)が成長するまでの中継ぎという点では、中野直由はのちの井伊直虎の先輩格とみることもできるでしょう。

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中野直由の子供・中野直之はどんな武将だったのか


中野直由の死後、中野家を継いだのは直由の子供である中野直之(なかのなおゆき)でした。
「おんな城主直虎」では、俳優の矢本悠馬さんが演じておられる武将です。

直之は、直由の子供だけに井伊家に対する忠義は筋金入りでした。直親が誅殺されたのち、命を狙われた虎松は、転々としたのち、三河国鳳来寺に身を隠します。
その後、直親の十三回忌のため井伊谷の龍潭寺に集った直親の妻ら関係者が相談し、虎松を徳川家康に仕えさせることとしました。

この後に虎松が徳川家康に謁見するのですが、このとき虎松に付き添ったのが中野直之でした。これは直盛の未亡人である祐椿尼(井伊直虎の母親ですね)の指示によるとのことです。中野直之がどれだけ厚い信頼を得ていたのかが分かりますね。

ちなみに中野直之の妻は、中野家と同じく井伊家一門である奥山朝利の娘です。奥山朝利は直之の妻とは別の娘を小野政次の弟、小野玄蕃に嫁がせているため、中野家は奥山家を通して小野家とも繋がっている事が分かります。もっとも、井伊家に忠義を尽くす中野親子にとっては、全く嬉しい事ではなかったでしょうが…

中野直之は1605年に死去します。その後の中野家は、直之の嫡男にあたる三孝が跡を継いで井伊家の家老になりました。また、直之の次男である一定は、未亡人となっていた井伊直親の妻(奥山朝利の娘)が再婚した松下清景の養子となり、松下一定と名乗ります。そして兄同様、井伊家の家老になっています。

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この記事のまとめ


今回は、中野直由とその子供である中野直之に焦点をあて、まとめてみました。

井伊家にもっとも近い分家だった中野家は、直由、直之、三孝・一定兄弟と親子孫の三代にわたって井伊直親、直政親子を支えました。
それはまさに、自分個人の命を代償にして家(井伊家)を存続させようという、戦国期を代表する武士らしい生き方であったと言えると思います。

なお、以下の記事では中野直由、直之親子を含めた井伊直虎の家系図を解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:井伊直虎の家系図を解説。井伊家のその後も気になる!