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古代の日本の文化や思想を研究した「国学者」と呼ばれる江戸時代中期の人物であり、その作品は今なお研究の対象となっています。

このページでは、本居宣長のプロフィールや年表をわかりやすくご紹介します。
また、その作品についても見ていきましょう!

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本居宣長のわかりやすいプロフィール!一体どんな人だったの?


まずは本居宣長のプロフィールについて見てみましょう。

本居宣長は1730年に伊勢国の松坂(現在の三重県松阪市)という場所で、商家の小津家の次男として生まれました。小津家の家業は木綿の仲介業で、宣長が生まれたときは大金持ちというほどの家でした。幼いときの名前は「富之助」(とみのすけ)と言います。

子供の頃から読書が好きで、7歳から寺子屋で学び始め、学問の才能をめきめきと伸ばします。次男だったためか商売にあまり熱心ではなかったのですが、10歳の時に父親が、22歳の時に兄がなくなってしまい、仕方なく家業を継ぎますが、どうもその気にはなれなかったために、母親と相談した上で家業を捨てて、京都で医学や儒学などの学問を学びました。そのときに苗字を「本居」に、1775年に名前を「宣長」と名乗るようになります。

1757年に松坂に戻り、そこで医者をしながら、『日本書紀』や『源氏物語』などの昔の文学の研究をします。また1763年には、国学者の賀茂真淵(かもの まぶち)が伊勢神宮に参拝するために、宣長の住んでいる所である松坂を訪れた事がありました。この時、宣長は賀茂真淵が泊まっている宿に行き、賀茂真淵から国学の教えと『古事記』の研究を託されました。この出来事を『松坂の一夜』(まつざかのいちや)と言います。

1764年にようやく賀茂真淵の弟子になりましたが、松坂で医者の仕事があるために、手紙のやりとりで賀茂真淵の教えを受けながら、『古事記』の研究を進めました。また、鈴のコレクターだったようで、自分の書斎に鈴を取り付けて、鈴の音色でリラックスしながら国学の研究を進めたので、宣長の自宅は当時、『鈴屋』と呼ばれていて、488名に及ぶ門人を集めて講義したことから、宣長は『鈴屋の大人』(すずやのうし)と呼ばれました。

35年に及ぶ『古事記』の研究の間に、紀州藩(現在の和歌山県)に仕えたり、宣長の道を勧めてくれた母親と師匠の賀茂真淵がなくなる中、ようやく『古事記伝』を完成させました。

本居宣長の年表をわかりやすく解説!


ここでは本居宣長の年表を通して、その生涯を振り返ってみましょう。


・1730年(0歳)
伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)に生まれる。
家業は木綿の仲介業の小津家の次男。
幼いときの名前は「富之助」(とみのすけ)という。

・1737年(7歳)
寺子屋(現在の学習塾)で学び始める。

・1740年(10歳)
父親がなくなる。

・1752年(22歳)
兄がなくなって家業を継ぐが、その気にはなれず、お店をたたんでしまう。
母と相談して京都にいき、医学と儒学などを学ぶ。
苗字を先祖と同じ「本居(もとおり)」にする。

・1775年(25歳)
名前を宣長(のりなが)にする。

・1757年(27歳)
松坂に帰り、医者を始める。
そのあいまに『日本書紀』や『源氏物語』など国学の研究をする。

・1763年(33歳)
伊勢神宮へ行くために松坂を訪れた国学者の賀茂真淵(かもの まぶち)に出会う。
『古事記』の研究に取り掛かる。

・1764年(34歳)
賀茂真淵の弟子になる。

・1768年(38歳)
母がなくなる。

・1769年(39歳)
賀茂真淵がなくなる。

・1793年(64歳)
随筆『玉勝間』(たまかつま)の執筆を開始する。

・1798年(68歳)
『古事記伝』(こじきでん)が出来上がる。

・1799年(69歳)
『源氏物語玉の小櫛』(げんじものがたりたまのおぐし)を出版する。

・1800年(70歳)
『地名字音転用例』(ちめいじおんてんようれい)を出版する。

・1801年(71歳)
伊勢国松坂の地でなくなる。

・1822年
『古事記伝』が出版される。

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古い文献を次々と研究した宣長。とても根気強い人だったのがよく分かります。ただ、代表作であり35年に及ぶ研究の末に出来た『古事記伝』の出版は、その死後なのが驚きですね。

そんな本居宣長の作品には、一体どのようなものがあるのでしょうか。
次の項目でご説明します。

本居宣長の作品を5つ解説!


ここでは本居宣長の作品を、5つに絞ってまとめてみました。


・本居宣長の作品(1)『古事記伝』(こじきでん)
日本の成り立ちから推古天皇までの日本神話を記した『古事記』をわかりやすくした本です。
その当時まで『古事記』は『日本書紀』のついでに読むような立場でしたが、『古事記伝』の出版によって、『古事記』自体にも注目されるようになりました。

・本居宣長の作品(2)『紫文要領』(しぶんようりょう)
本居宣長が著した源氏物語の解説本です。「もののあはれ」(しみじみとした情緒や哀愁)という宣長の主張は、この作品ではじめて提唱されたものです。賀茂真淵と対面する前に、自らの『源氏』に対する研究をまとめた著作だと言われています。

・本居宣長の作品(3)『地名字音転用例』(ちめいじおんてんようれい)
当時の地名は漢字が当てられているものですが、漢字本来の読み方とは違うものです。その読み方が違う地名を『風土紀』や『和名抄』といった古代の資料から法則を編み出して、転用例を明らかにした本です。

・本居宣長の作品(4)『源氏物語玉の小櫛』(げんじものがたりたまのおぐし)
上の『紫文要領』と同じ、源氏物語を解説した本です。この著作によって源氏物語の研究は更に発展し、宣長以前の研究を「旧注」、それ以降のものを「新注」と呼ぶようになった程です。

・本居宣長の作品(5)『玉勝間』(たまかつま)
本居宣長が晩年に書き始めた随筆集です。宣長の関心事や友人知人との思い出、今まで読んだ本の事が書かれています。若い頃の宣長が書いた作品も含まれているので、研究者にとっては重要な作品となっています。

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この記事のまとめ


本居宣長のプロフィールや年表、その作品についてご紹介しました。

商人の家に生まれ、医者として働きながら古い文献を研究し、日本人本来の心のあり方を提唱した宣長はこんな和歌を残しています。

敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花

これは、宣長が61歳のころに詠んだ和歌だと言われており、「日本人の心とは、朝日の光に照らされた山桜の花を美しいと思う心だ」という意味があると言われています。国学の研究に人生を捧げた宣長だからこそ作れる、素晴らしい歌だなと感じますね。