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戦国時代で有名な美少年と言えば、織田信長の小姓を務めた森蘭丸が有名ですよね。ですがこの森蘭丸、実際はどのような人物だったのでしょうか。今回は森蘭丸の人物像をはじめ、父親の森可成や蘭丸の兄弟たちを交えてご紹介します。

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森蘭丸ってどんな人?その人物像について!


まずは森蘭丸の人物像を、簡単に見ていきましょう。

1565年に産まれた森蘭丸は、12歳の時に信長の小姓になったと言われています。諱は成利(なりとし)また長定(ながさだ)と言い、また蘭丸ではなく「乱丸」という表記も見られます。
(このページでは一般的な表記である「森蘭丸」で統一しています)

小姓としての蘭丸は鉄砲やお米の計算が得意だったようで、また1579年頃からは信長の使者として、各地の武将たちに金銀を配る仕事をしていたという記載が残っています。1581年には近江国500石を与えられており、信長お気に入りの秘書的な立ち位置に居たと思われています。

そんな蘭丸を、信長はことの外気に入っていたようで、自分のお気に入りトップ3に入れている程でした。(1位は奥州の鷹、2位は青の鳥だったと言われています)美少年だった事でも知られる蘭丸ですが、趣味は珍しい焼物集めと、ちょっと渋いものでした。

1582年の本能寺の変で、明智光秀の家臣である安田国継に討たれ、わずか18歳で討ち死にした蘭丸ですが、その少し前には美濃国に5万石の領土を与えられています。わずか1年で領土が100倍になっている事を考えると、信長は蘭丸の将来に期待し、心の底から気にかけていたのではないかと思います。

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森蘭丸の父親、森可成ってどんな人物?


そんな森蘭丸の父親は森可成(よしなり)という人物です。1523年に生まれた可成は、もともとは美濃の守護を務めていた土岐氏に仕えていたと言われています。しかし、土岐氏が斎藤道三によって追放された為、1554年から信長に仕え、彼の尾張国統一に貢献します。1555年の清洲城攻めでは、信長の一族である織田信友を討ち取る手柄をあげています。

その後は桶狭間の戦いにも従軍し、信長の上洛時には柴田勝家と共に先方を務めました。また信長の上洛後は寺社や堺に対する数多くの文書を出しており、政治家としても優れていた武将だった事が分かっています。1570年7月に行われた姉川の戦いにも従軍し、浅井長政の先方を努める磯野員昌を退ける武功を挙げました。

その後、可成は信長の命を受けて、浅井・朝倉両家を防ぐ事を目的とした宇佐山城を、今の滋賀県大津市に築きます。しかし同年9月、信長が摂津方面に兵を集めている事を知った浅井・朝倉両家は、約3万の兵を率いて宇佐山城に攻撃を仕掛けてきます。(宇佐山城の戦い
可成は1000人ほどの兵を率いて城外で奮戦するも、48歳という働き盛りの年で討死してしまいます。ただ宇佐山城自体は、信長の援軍が来るまで可成の家臣が守りきり、落城する事はありませんでした。

※参照:浅井長政の人物像とは?家紋や子孫についても解説!

森蘭丸の兄弟を解説。その後の森家はどうなった?


森蘭丸の父親にあたる可成ですが、妻のえいとはとても仲が良く、蘭丸を含めた以下の9名の子供に恵まれました。こうした森蘭丸の兄弟について、最後に詳しく見ていきましょう。

長男:森可隆(よしたか)
次男:森長可(ながよし)
三男:森蘭丸(成利)
四男:森坊丸(長隆)
五男:森力丸(長氏)
六男:森忠政
長女:碧松院(関成政室)
次女:娘(青木秀重室)
三女:うめ(木下勝俊室)


まず長兄の森可隆ですが、1570年6月に行われた朝倉攻めの最中で父親より先に戦死しているため、可成の死後の森家を継いだのは次兄の森長可でした。長可は信長の嫡男、織田信忠の与力として各地を転戦し、武田家滅亡後は川中島の戦いで知られる海津城を与えられています。本能寺の変の後は東美濃を統一し、小牧長久手の戦いでは秀吉側に味方するも、奇襲を受けた事によって27歳の若さで討死しています。

長可には子はなく、弟にあたる坊丸力丸は蘭丸と共に本能寺の変で討死しているので、森家は末弟にあたる森忠政が継承する事となりました。忠政は豊臣政権、そして徳川家康によく仕え、関ヶ原の戦い後は川中島13万石、そして美作18万石の領主となっています。
領主としての忠政は、かつてこの地を治めていた宇喜多家の旧臣による一揆や重臣との関係悪化などを乗り越え、1616年には津山城の完成に成功します。その後の森家は一時期改易されるもののお家再興に成功し、幕末までその家名を残す事となりました。

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この記事のまとめ


森蘭丸の人物像を、父親の森可成や兄弟にあたる人物を含めご紹介しました。

蘭丸と言えば、織田信長との男色関係が話題になる事がありますよね。実際のところ、この2人の間にそうした関係があったのかは明らかになっていません。ただ信長は前田利家と同姓愛の関係にあった事は確実であったようで、蘭丸もこうした対象だった事は否定は出来ないという見方も出来ます。もっとも当時は、武田信玄と高坂昌信徳川家康と井伊直政という風に、主君が若い小姓とそうした関係になる事は珍しくなかったんですけどね。

※参照:井伊直政の人物像や家紋について!家臣にはどんな人がいる?