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出雲阿国と言えば、歌舞伎のもとを考案した伝説的な踊り子として歴史にその名前を残しています。しかしその生涯は謎に包まれており、生没年もハッキリとは分かっていません。

ここでは僅かに残る資料から、出雲阿国がどんな人物だったのかを、歌舞伎や出雲大社との関係からも含めてご紹介します。

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出雲阿国ってどんな人?生涯は謎だけど夫がいた?


まずは出雲阿国がどんな歴史人物だったのかを、簡単にご紹介します。

出雲阿国とは、安土桃山時代から江戸幕府初期にかけて活躍した人物です。名字が「出雲」で名前が「阿国」と考えがちですが、実はこの名前は当時の資料には見られません。「出雲」とは彼女の出身地である出雲国(今の島根県)の事で、また名前も「阿国」ではなく「お国」や「国」というものしか見られません。

1572年に、中村三右衛門という鍛冶屋の娘として生まれたとされる彼女は、実は歌舞伎のベースを作った人物でもあるのです。今で言う、芸能人のような存在だと考えると分かりやすいと思います。日本各地を渡り歩いたとされ、豊臣秀吉や織田信長をはじめとする多くの戦国大名から人気を集めたと言われています。ただし、その生涯を示す資料は少なく、なくなった年も伝わっていません。

また、同じく歌舞伎の創設者として知られる名古屋山三郎(なごや さんさぶろう)という人物の妻、あるいは恋人であったという説もあります。名古屋山三郎は武芸に優れた人物であると共に容姿端麗、今で言うイケメンとして知られていたばかりか、和歌や茶道についても理解があった人物ですが、仕官先の家臣とトラブルを起こして殺されてしまいます。山三郎がなくなると、阿国は彼の姿に扮して歌舞伎の元となった踊りを作り上げたと言われています。

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出雲阿国と歌舞伎の関係について詳しく解説!


出雲阿国は歌舞伎の創設者として、歴史にその名を残しています。
両者の関係をもう少し、詳しく見ていきましょう。

『時慶卿記』という資料によると、1600年に「クニ」と呼ばれる女性が「ヤヤコ跳」という踊りを行ったとされ、この「クニ」が3年後、「かぶき踊」をスタートしたと言われています。この2つの違いですが、「ヤヤコ跳」は今でいう女の子たちのダンスで、「かぶき踊」とはセクシーさを売りにした踊りのようなものでした。

その後、後者の「かぶき踊」はエロ要素を強めながら日本中の遊女屋に広まっていきます。そのため出雲阿国自身も実は遊女だったのではないか、という説も根強く残されています。この遊女屋で行われていた歌舞伎を「遊女歌舞伎」と呼び、一部には50人以上の遊女が舞台に登場し、数万人レベルの客数を集めたとも言われています。しかし、こうした遊女を巡って武士がトラブルを起こす事もあったため、江戸幕府によってこの遊女歌舞伎は禁止されてしまいました。

その後、歌舞伎が盛り上がるのは元禄時代になってからで、この頃から男性中心の演劇になっていきます。当時の歌舞伎役者は身分が低い者として差別されていましたが、彼らは日本各地の行き来を認められており、また当時の人々で歌舞伎に夢中になる者も少なくありませんでした。アニメや映画が生まれていない時代、歌舞伎はこれらの代わりだったのかもしれませんね。

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出雲阿国と出雲大社の関係は?踊りの目的は資金集め?


出雲阿国と言えば、冒頭の「出雲」という文字が気になりますね。この「出雲」とは、彼女の出身地とされる島根県東部の事で、かの出雲大社がある場所としても知られています。それでは、この出雲大社と出雲阿国の間には何かしらの関係はあるのでしょうか?

「出雲阿国顕彰会」と呼ばれる団体が出版した『出雲大社と阿国さんのまち』という本によると、出雲阿国はかつて出雲大社の巫女として、1590年代に出雲大社の修繕などの寄付を募るために日本全国を渡りあるいた所、次第に評判になり、豊臣秀吉の寵愛を受けたと言われています。その一方で、出雲阿国が出雲大社の修復のために諸国を渡り歩いたのは1560年代前後という説もあり、この時は織田信長に召し出されたのだとか。

出雲大社の資金集めのために「出雲阿国」と呼ばれる女性が諸国を渡り歩いた、という事は考えられそうですが、どうも年代がハッキリしないですよね。一説には「出雲阿国」と呼ばれる女性は2人いて、現在の歌舞伎の創設者である人物は2代目だとも言われています。もっとも、彼女が出雲出身という資料は当時の記録にはありません。出雲大社の近くには彼女の墓があるのですが、京都と大徳寺にも出雲阿国の墓が残されています。出雲阿国と出雲大社の関わりがあったのかについては、確固たる証拠はないのです。

この記事のまとめ


このページでは出雲阿国がどんな歴史人物だったのかを、歌舞伎や出雲大社との関係にも触れながら分かりやすくご紹介しました。

出雲阿国の生涯は謎に包まれています。初代と二代目がいたとか、そもそも本当に出雲国の出身だったのかとか、名古屋山三郎との関係の真偽とか、分かっていない事だらけです。しかし彼女がはじめた「かぶき踊」は、現在の歌舞伎の元になったのは事実なのです。

今でも続く伝統芸能を創り上げた出雲阿国。彼女もまた、歴史における重要人物の1人と行っても過言ではないでしょう。

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