2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」の主人公である井伊直虎
しかし、「直虎って誰?」と思われる方もかなり多いと思います。

なかなか聞き馴染みのない井伊直虎ですが、一体どんな人物だったのでしょうか。

このページでは、井伊直虎の生涯を年表を使って解説すると共に、その子孫の有無についても探っていきます!
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井伊直虎ってどんな人物?その生涯を見てみよう!


まずは井伊直虎がどんな人物だったのか、その生涯を簡単にご紹介します。

井伊直虎は戦国時代に生きた女性で、1530年代に遠江国(現在の静岡県西部)で生まれます。
織田信長や豊臣秀吉と同じ位の歳だったと言った方がわかりやすいかもしれませんね。

直虎の父親、井伊直盛(なおもり)には息子がいなかったため、直盛の従兄弟にあたる井伊直親(なおちか)を井伊直虎の婿養子として迎える予定でした。しかしその後、婚約者にあたる井伊直親の父親が、仕えていた今川義元に殺され、直親も行方不明になってしまいます。このため直虎は出家して「次郎法師」と名乗り、その後誰とも結婚する事はありませんでした。

行方不明になっていた婚約者の直親ですが、実は生きていて、しかも別の女性と結婚していた事が分かります。しかし直親は1562年に、謀反を疑われて今川家に殺されてしまいます。また直虎の父親の井伊直盛も2年前の桶狭間の戦いで討死しており、井伊家はお家断絶の危機に陥ります。

そのため、出家していた直虎は井伊家の当主になり、今川家や武田家と戦い続けました。
その一方で、元婚約者の直親の一人息子である井伊直政(なおまさ)を育て、1575年に徳川家康の家臣にさせる事に成功しています。1582年に直虎はなくなりますが、その後を継いだ井伊直政は家康の家臣の中でナンバーワンとも言ってもいい活躍をして、家康の江戸幕府立ち上げに力を尽くしました。

井伊直虎の生涯を年表を使って見てみよう!


ここでは井伊直虎の生涯を、年表を使って別の角度から見てみましょう。


・1530年代(生年不明)
遠江国(現在の静岡県西部)で井伊直盛の娘として生まれる。

・1544年
婚約者である井伊直親の父親が、謀反の疑いをかけられ今川家に殺される。
井伊直親は身の安全のため井伊家の領地を出る。
直虎は出家して、「次郎法師」と名乗る。

・1555年
井伊直親が今川氏の家臣として復帰する。

・1560年
桶狭間の戦いにて父、井伊直盛が討死する。

・1562年
井伊直親が、今川家から謀反の疑いをかけられ亡くなる。

・1565年
「井伊直虎」と名乗り、井伊家の当主となる。

・1568年
今川氏真が二年前に出していた徳政令の発動に踏み切る。
居城である井伊谷城を、家臣の小野道好(おのみちよし)に奪われる。

・1570年
徳川家康の力を借りて、小野道好を倒す。

・1572年
武田家の武将、山県昌景(やまがたまさかげ)に井伊谷城を奪われる。

・1573年
武田家から井伊谷城を奪還する。

・1575年
井伊直親の子供、虎松(井伊直政)を徳川家康の家臣にする。

・1582年
井伊直虎死去。かつての婚約者であった直親の隣に葬られる。

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直虎の生涯は、井伊家を守るために一生を捧げたものだと言っても良さそうですね。ちなみに井伊家は今川家に元から仕えていた訳ではなく、直虎が生まれる前からその関係は決して良いものではなかったと言われています。

井伊直虎の子孫はいるのか?現在の井伊家はどうなってる?


井伊直虎には子孫がいるのか?
この事が気になっている方も少なくないかと思います。

井伊直虎はその経緯から、未婚のまま生涯を終えたため、子供がいませんでした。
つまり、直虎の血を引く子孫はいないということになります。

しかし、直虎はかつての婚約者の息子である井伊直政を養母として育て、徳川家に仕官させています。その後の直政は「徳川四天王」の1人に加えられる程、家康にとって無くてはならない家臣へと成長していきます。

この直政には長男の直勝、次男の直孝という2人の息子がいました。井伊直勝は上野国(今の群馬県)に領地を与えられ、その家系は江戸時代を通して存続し、最終的には新潟県の与板(よいた)藩主として幕末を迎えます。

一方の井伊直孝の家系は彦根藩主として、多くの江戸幕府の大老を輩出しています。幕末に活躍した井伊直弼はとても有名ですね。直勝の家系の当主は京都にある井伊博物館の井伊達夫氏、直孝の家系の当主は彦根城博物館の館長を務められている井伊直岳氏です。

直虎には直系の子孫は居ません。
しかし、彼女が守った井伊家は現在に至るまでずっと続いているのです。

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今回のまとめ


井伊直虎の生涯を年表も使って解説すると共に、その子孫の有無についてもご紹介しました。

直虎が生きた時代は、戦も多く、決して安全な時代ではありません。その中で、女一人で家を守らなくなった彼女の心情はきっと複雑なものがあったと思います。婚約者の失踪、一族の存亡の危機、家臣の裏切りなど、今の私たちには中々想像もできない状況の中、家を守り、現在にまで子孫を残すきっかけを作った直虎は、とても立派な当主であったと私は思います。

なお、以下の記事では井伊直虎の家系図について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:井伊直虎の家系図を解説。井伊家のその後も気になる!